2005年12月
今月は、三つの眼についてのお話です。決して三ツ目小僧と言う訳ではなく、
物事を判断する際に於いての“眼”という事です。
まずひとつめは、自分の眼、ふたつめは、他人の眼、そしてみっつめが、モラルの眼です。
何かを判断して、事を決めようとする時、人はまず、自分はこう思うんだけれども、
あの人がこう言うし、この人はこう言うし、どうしよう?と悩みます。
コレが自分の眼と他人の眼という事です。誰でもそうですよね?
長く占いをしてきておりますが、殆んどがこの煩悶のような気がします。
みっつめのモラル(常識及び道徳)の眼については、言うまでもなく、
誰が見ても・考えてもしてはいけない事ということですから、
コレは始めからクリアしておくべき事とします。
そうすると、残るは自分の眼と他人の眼との折り合いをどうつけるか、此処に集約されます。
もし“こうしたい”という自分の想いを抑えて、他人が“こう言うから”と、
他人の意見に合わせたとしましょう。
それが上手く行けば問題はありませんが、いつもいつもそうとは限りません。
望まぬ結果が来ることもあります。その時、あなたはどう思うでしょう?
おそらく、“自分はそうしたくなかったのにアノ人が言ったから”と
自己弁護と責任転嫁の思いになるはずです。
そして相手を恨むかもしれない・憎むかもしれない。
これらは全て“陰の念”“心の毒”です。
“人を呪わば穴二つ”と昔から言われるように、自分にもその毒が廻るのです。
其処で、他人の意見も参考にしながら、でも最後は自分が本当にしたいと思った事をすれば、
(人の意見に自分もそうだと思うのならば、これも又自分が思った通りにしたという事と同じです)
仮令結果がどうあろうと自分が決めてした事である故に、誰も恨む訳にはいかない。
其処から生ずる結果は全て自分が対処して行くという“腹の括り”が出来るはずです。
他人がどう思うかではなく、自分がどうしたいか。これが一番大事な事です。
“我想う、故に我あり”この実は、当たり前の事を忘れずにいれば、あなたの心は強くなりますよ。
いつだって最終決定をするのは他の誰でもなく、あなた自身なのですから。