2006年12月
今に始まった事では無いとはいえ、今年後半も余りにも良心の欠片も無いような事が多すぎました。
子供の世界では“いじめ”に始まる自殺騒ぎ、大人の世界では国会議員、知事、県・市会議員は言うに及ばず、
警察を含む公務員全般の談合汚職を始めとする公金に対するモラルハザード(道徳心の崩落)。
ま、これは何も公務員に限った事では無いのは当然ですが、これらの事象は、子供から大人まで
“バレなければ良しとする”キツネ根性、(こんな事を言うと、キツネが気を悪くするかもしれませんが)
全てに共通して、その底辺に流れているのは正しくこれでしょう。
そうそう、これから年末年始に向けて増えるであろう飲酒運転もそうですよね。
そして事が発覚した後では、皆、口を揃え一様に“そんなつもりは無かった”と言います。
じゃあ一体どんなつもりだったんでしょうか?
そして又次には“誰々がしていたから、誰々に言われたから”と自分以外のものに責任転嫁します。
もうお約束の筋書きですよね。
その者達の本音を言えばやっぱり“バレなければ、事が発覚しなければこんな事にならずに済んだのに”
とした事の罪を悔やむのではなく、自分の身に降りかかった災いとして嘆く。
解りますよね、全て自己保身の心だけです。
前にも触れましたが、果たして誰も見ていなければ、誰にも見つからなければ、
何をしてもいいのでしょうか?
昔から日本人には“恥の文化”というのがあり、“そんな事しよったら、人さんに笑われる、
そんな事しよったら、お天道さんに顔向け出来へん、誰も見てへん思ても、天知る・地知る・我知るで
少なくとも神さんと自分自身はわかっとる筈や、人に言われへんような悪い事しよったら罰が当たるで”
と親や祖父母に言われたものです。
そうやって、一人一人が、自分の心の中に人として、越えてはいけない
“恥のデッドライン”を引いたのです。
今は核家族になり、それを諭してくれる祖父母と住む事も無くなり、モノが溢れた世界で、
両親は“見栄のデッドライン”を守る為に忙しく働いている。
子供達に日本人として恥ずかしくない心の教えを説く者や機会は失われてしまいました。
ましてや大人がそうなのですから、“心の伝承・恥の文化の継承”など望むべくもありません。
子供や若い者から見れば、年寄りの説教くさい話など“ウザい!”と思うのでしょうが、
例えば、昔話の中にもその“教え”は、たくさん生きています。
もし機会があれば、おじいちゃん・おばあちゃんに“罰があたる話”を訊いてみなさい。
きっと自分の行動の戒めや、栄養になると思いますよ。
そんな小さな事からでも始めなければいけません。
世の浄化には程遠いのかもしれませんが・・・。