2006年 3月
2月にイタリア・トリノで冬季オリンピックが開かれましたが、皆さんはご覧になりましたか?
時差の関係で夜中の放映ではありましたが、世界中から、技とスピードと運というか勢いが集結して、
国という意識を外せば、心躍るものでありました。
ご存知のように、日本勢とすれば惨敗・メダルには程遠いという結果になってしまいました。
当然、実力には差があり、“運とラッキー”というのも左右しますから、
勝負の勝ち負けは仕方がない事でしょう。
只、今回選手一人々のインタビューを聞いて感じたのは、あまり感謝の想いが伝わらないという事です。
オリンピックの在り方もその昔は、国を背負って・国の代表としてという意識が強すぎて、
その責任と期待と重圧に押し潰されてしまい、その結果、本来の持てる力が発揮出来ずに、
“期待に応えられなくて申し訳ございません。”とうなだれる形でした。
しかし、何も国の為だけに闘っている訳では無いので、
“何もそんなに責任を一人背負って、謝らなくてもいい。よくやった”と慰めの目で見たものです。
時代が変わって、今はそういう国威高揚の為ではなく、もっと個人的に自分の為に闘うというスタイルに
日本人も成って来ました。
それはいいのですが、“まぁこんなもんでしょう”“これが自分の実力です。仕方ないですよね”とか
“また今度頑張ります”“また一からやり直します”等々、余りにも自分だけの世界での出来事であり、
決着のような気がします。
そりゃ、中にはこのオリンピックという場に立てた事の喜びを表す選手もいましたが、一アスリートとして
この場に立たせて貰えた事への感謝と御礼の想いが、言葉となってもいいのではないか?
そんな気がしました。
大勢の役員も含めて、大選手団を送り込む為には莫大なお金が必要です。
其処には、当然税金が使われている訳ですから(スポンサーとしての企業献金もあるでしょうが)
何もタダで行けている訳ではないのですから、謝る事はしなくてもいい。
でも、“オリンピックという場に立たせて頂いて、有難うございました”という
感謝の気持ちと御礼の言葉はあってもいいのではないでしょうか。
其処で初めて回りの者や観る者も“いや、いい々。良く頑張った。その気持ちだけで十分だ”
と言えるのです。
現代っ子気質というのか“人に生かされている”という意識が希薄で、
どうも自己完結な考え方に終始しているような気がします。
その中で、女子カーリング団体競技は負けはしましたが、ぐっと心に伝わるものがありました。
初めてその競技の内容とルールが選手の想いを通じて、解らないのにわかりました。不思議ですよね。
普通に生きていても、“小さな事にでも感謝出来る心”を持つのは大事な事です。
世界中の認識として、日本語の中で一番綺麗な言葉は“ありがとう”なんですから。