2006年 8月
アメリカへ行った時に感じた事ですが、何が起きても必ずと言っていい程
“人のせい、相手のせい”であって、自分は絶対に悪くない。
“Excuse”はあっても、“I’m sorry”はない、そんな感じでした。
例えばタバコを喫って、肺がんになると、タバコ会社のせい、
熱いコーヒーを零すと、熱いと言わなかった店の所為、そして訴訟。
不思議な事に其処に多額の賠償金が生ずる。
我々日本人の感覚からすると、オカシクありませんか?
いずれにしても、喫ったのも、零したのも自分ですよね。
各々が自己責任において判断すべきでしょう。
是迄の麗しき日本人の美徳に於いては“そりゃ、しょうがないわ”そう思いますよね。
処がが阿仁図らんや、今の日本人もテレビでやってる「行列の出来る法律相談所」が煽り立てる様に、
何でもかんでも“訴えてやる!”小学生までが言っています。
はっきり言って、嫌いです。
自分のした事を棚に上げて相手の責任ばかりを論う(あげつらう)。
その昔からアメリカは徹底した個人主義であり、
自己を護るのは自分でしかないというスタンスから来ているのであり、
其れも解らずに日本人が同じ事をするのは、個人主義ではなく、只の“利己主義”に過ぎません。
“そんな事をしたら顔を刺す”と言う言葉を聞いた事ありませんか?
これは“そんな事をしたら恥ずかしい”“そんな事をしよったら人さんに笑われる”という世間と、
自分自身に対する道徳心と羞恥心を表す言葉です。
何も世間体ばかりを気にせよと言う訳ではなく、
冷静に事を判断した上での日本人特有の“恥の文化”です。
これは、外国人にはあまり見られない事です。
現代の日本を見渡してみると、政治家・官僚・役人はじめ、大手民間企業に至るまで、
己の損得にのみ躍起する様、ネット株取引での歪んだ金儲けの形、
思考力と持続力の一切見られない秒単位のお笑いの氾濫。
まあ若者の風俗は、いつの時代も大人からみれば、同じ様に映るのでしょうからいいとしても、
公の場での余りにも自己空間と化した無防備な振舞い。
これら全てが、日本古来の“恥の文化”を捨て去ってしまった結果の様に思われます。
その人の“品格”と言い換えてもいいでしょう。
もう一度ここで原点に戻って、日々の生活の中の小さな事でいいから、気をつけて行きたいものです。
それは決して、回顧主義でも、時代遅れでもないと思いますよ。