2006年11月
今月は、相手を又は物事を“赦す”という事についてお話しましょう。
普通“ゆるす”と言うと“許す”という字が浮かびますよね。
是は、許可を得る、何々をしても良いという意味で、英語で言う処のPERMITに近い感じです。
ところが、この“赦す”は、罪を犯したものをもう咎めない、
又は間違いは間違いとして受け止めた上で、拘らずに水に流す、
これは英語で言えば、FORGIVE“容赦する”と言う意味です。
音は同じでも字が違えば、全然意味は変わって来ます。
あなたは今、心の中に“赦せない”何かを抱えていますか?
もしそうならば、しんどく無いですか?
物事や相手を“赦せない”というのは、
それに対して、嫌悪感や拒絶、そして恨みや憎しみ・妬みや嫉みなどの負の念・陰の念を伴います。
“人を呪わば穴二つ”と昔から言われるように、
それは同時に相手を斬る返す刀で自分の心をも斬ってしまうのです。
それに拘り続ける限り、マイナスパワーの引力からは逃げられません。
しんどくて当然ですよね。
生きて行く基本として、“心が楽である事”を心がけるならば、まず是があっては無理です。
よく“相手を赦さない”と言いますが、本当は“相手を赦さない自分を赦していない”のです。
そうなると、自分で自分の首を絞めているのと同じことなんです。
一旦立ち止まって、大きく俯瞰の見地からもう一度見直してみて、
もし“赦せる”ものであるのならば、“もういいっか”となってみれば、
“あぁあんなに思い詰めていたのは何だったんだろう?”と肩の力が抜けて、
馬鹿らしくなって、思わず笑ってしまうかもしれませんよ。
大らかに自分も含めて、“赦して”あげられたら、いいですよね。
世の中に“絶対に・永遠に・ずっと”なんてないんですよ。