2007年 6月
今回は、心の“毒と薬”について、お話します。
この占いを通してのカウンセリングの仕事をしていて、共通に感じるのは、
悩んでいる全ての人が“心に毒を入れてしまっている”という事です。
そりゃ毒を躰に入れればしんどいのは当り前で、元気で居れる人などいません。
とても単純な話ですが、入れてしんどいのならば入れなきゃ良いのです。
“でも先生幾ら嫌でもせなイカン事や考えらなアカン事があるやないですか”という人がいます。
是も又当然の話で、自分の好き嫌いは別として、
受け持たねばならない義務・責務というのはありますよね。
只その際に、“ソレを毒にしてしまわない”これが必要なんです。
どうせ自分がすべき事ならば、“よっしゃエエわ、やるわ”と受け止めて、腹を括れれば、
“ソレは毒にならないんです”そうですよね。
イヤイヤするとか、前にも言いましたが、被害者意識になるとか、せんでもエエ人を羨むとか、
こういう色んな形での毒を入れてしまうから、しんどい悩みになるんです。
実際生きていて、悩んだ人が訴える程、あなた一人に懸かって来る事など
それほどある訳ではありません。
殆んどは、自分が勝手にそう思い込んでいるだけで、別に断っても、
あなたがしなくても良い事なのかもしれませんよ。
“そんな訳にはいかへんやんか!私がせな!”と怒り乍ら仏頂面でした処で、
又、世間体というのを気にしてイイ格好した処で、
ソレは相手にも自分にも納得のいく嬉しい結果になりません。
このように仮令どんな事柄であったとしても、自分の中に入れてみて、しんどくなったり、
イヤになったり、腹が立ったり、悲しくなったり、相手を嫉妬したり、憎んだりする事ならば、
もう言わなくても解るでしょう?是が“心の毒”そのものなんです。
出来る事ならば、冷静に考えて、入れなくても良いモノは入れてしまわない様にしましょう。
反対に、自分の中に入れてみて嬉しくなったり、楽しくなったり、元気になったり、
“ああ良かったな”と思えたり、“有り難いな、お蔭さんやな”と感謝出来たりする事、
是が“心の薬”なんです。
何かを見て、綺麗なと感じたり、スポーツや映画を観て感動したり、是も薬なんですよ。
簡単ではあるけれど、この理屈が解れば、皆さん自身でどんな事でも
“毒と薬”に分ける事は出来るでしょう?無駄に悩む事は無くなりますよ。
“でもそうなったら雄映先生の処に相談に来る人が居なくなりますよ”それでいいんです。
一人でも悩む事なく、又悩んでも自分の力で解決出来る様になってくれればそれが一番嬉しいんですよ。
是が私の役割ですからね。