2007年 9月
すぐに人は目に見える行為で、“あの人は優しい”とか“あの人は冷たい”とかの評価をします。
勿論“優しさ”を行為に現せる事に異論はありません。
ですが、現在はメールの返信に象徴される様に、
自分が打てば、相手からも間髪入れずに返事が返って来るのが当たり前だと思い、
ちょっとでも遅れたり、返さなかったりすると、“何かあってんやろか?”と無為に心配をしたり、
まだそれだったらマシで、すぐに“信じられへん!あんな冷たいと思わんかった”などと、
まるで人でなしの様に決め付けてしまう。
でも良く考えてみれば、相手には相手の状況や都合がある訳ですから、
本当は即返じゃないと、と思い込んでいる方がおかしいんです。
メールでもそうですから、人との付き合い方というのも、好きやったらずっと一緒に居て、
いつも優しさを態度で表して、目に見える形で繋がっていないと安心出来ない等という“優しさ依存症”
それも自分がでは無くて、相手に求めるという形での“依存”が、蔓延している様に思います。
仮令、態度や言葉には出さずとも、心の温かい人は幾らでも居るし、
自分の求める答えをくれなかったからと言って、その人が“冷たい”と、決めつける訳にもいきません。
人と人との関係というのは、昔に比べると、随分と希薄になっているのが、現状なのに、
自分の関係する回りの者には、過度の優しさを期待する。
ちょっとバランスがおかしいような気がします。
そこで、心まで冷たくなる必要はありませんが、
人との距離感と言うのは、冷静にクールに居たいものです。
皆さんも覚えが在ると思いますが、そんなに頻繁に会う訳でもないのに、
仮令何ヶ月に一遍でも会えば、何も心配しなくても即、想いや言葉の伝わる相手っていますよね?
連絡が無かったからと言って、長い事会わなかったからと言って、“冷たい”とは思いませんよね?
正しくこの形が大事なんです。
“心は温かく、距離はクールに”“Warm Heart & Cool Distance”
皆がこれを心掛ける事が出来れば、下手な凭れ合いが無くなり、どちらもが楽になれますよ。
何も全部断れと言っているのではありません。
出来る事はお互いしてあげればいいし、出来ない事は無理して引き受けたりせず、
“ゴメンな”とお断りすればいいのです。
これは何も情が無いのでも、酷いのでもありません。
適度な、お互いしんどくならない為の距離感と関係なんですよ。