2007年11月
人はマイナスの事象が起こった時に、そうなってしまった事を悔やんだり、
その原因を作ったモノを憎んだり、腹を立てたりします。
しかし“物事に起滅あり、森羅万象に因果あり”と言われる様に、
どんな事で在っても全ての事には意味があるのです言い換えれば、其処に“必然の定理”が存在します。
怒ったり・憎んだり・悔やんだりする前に“なんでこうなったんやろ?
此処から何を解れと言われてるんやろ?何に気付かなあかんのやろ?”と考える癖を付ける事が必要です。
例えば、親が亡くなった。出来の悪い兄弟が居る。通夜・葬式は来たが、その後の逮夜参りに来ない。
他の人が沢山来てくれているのに、一番血の濃い者が来ないのは失礼であり、
又、当主としての顔も面子も立ったものじゃない!
“一体アイツは何を考えとんや!そんなもん一々言わんでも来んのが当り前やろ!”と豪い剣幕で憤る。
という場面が在ったとします。
貴方ならどうしますか?又はどう考えますか?
ひとつは、そんなに腹が立つというのは“毒”以外の何物でもありませんから、
そんなものを持って居てはダメに決まっている、それならちゃんと自分の方から“来い”と連絡する。
でも落ち着いて、よーく考えてみれば、そんな相手ですから、
仮令来てもらった処で、その場がいい雰囲気になると思いますか?
相手が悄らしい態度で反省の様子を見せるのならばまだしも、
フテブテしい態度で居たなら、回りにいる誰もが気分悪いし、
ひょっとしたら貴方だってキレてしまうかもしれません。
想像が付くでしょう?
そうで在るならば、貴方は来ない事に腹を立てたけれども、
“是って、いっそ来ない方がよかったんだ”とは思えませんか?
其処にさっき言った“必然の定理”が働いているのかもしれませんよ。
そう思えれば、馬鹿々しくなって来ますよね?
是なんです、“気が付けよ”といわれている事は。
あくまでひとつの場面の例ではありますが、何事に置き換えて見ても、やっぱりそうなんですよ。
どうせなら楽に生きましょう。
自分以外の関係の無い誰かに八つ当たりをしてしまわない為にもですよ。