2008年 4月
毎年社会に巣立つ新人を称して、キャッチフレーズを評したりしますが、
今年は“カーリング型”だそうです。
自分では動かないストーンを滑らないように、そっと氷の上に置き、ゴミを取り、
溜まった水を掃き、一番スムーズに動きやすい筋道を周りの者が擦り続けてお膳立てをしてやる。
ちょっとでもブラシで擦るのを止めると、とたんに止まってしまったり、
違う道に行ってしまったりするという事だそうです。
このストーンが新人で、擦り続ける役割が、周りの先輩や上司や親なのだそうです。
悪気は一切無いのでしょうが、自発的に・積極的に自らコトを求めて行くという
パイオニア精神というかバイタリティーが希薄みたいです。
まあ皆が豊かになって、昔のように子沢山という訳でも無くなり、
一人~二人の子供に親が精一杯の愛情注ぎ倒してる結果なんでしょうね。
中には6ポケットと言って、両親と各々の祖父母との計6人が一人の孫に対して、
出来る限りの愛情なのか出費なのかをかけるなんて事もあります。
そうなると、いつも々自分が苦労しなくても快適な状況に置いてもらえてる訳ですから、
何も自らが好き好んで苦労する必要は無いですもんね。
譬え、ペットにしたって元々は犬や猫は自力でお産が出来るものですが、
可愛さ余って可哀想が先に立ち、飼い主や獣医が手を貸し過ぎ、
自力ではお産が出来なくなる場合もあるそうです。
どれも同じですよね。
どの場合も愛情は尊いものですが、それが“too much”になり過ぎると過保護に変わってしまい、
自分の足で立ち、自分の目で見、自分の頭で判断し、自分の力で進んで行く。
とっても当たり前の能力を奪ってしまう結果になります。
この“カーリング型”の子供達は、ゆとりの在る中で育てられていますから、
まあ擦れていたり、歪んでいたりはしないという良さはありますが、
それだけではこの厳しい世の中渡って行く事は出来ませんもんね。
親が言っても聞かない事を、これから上の人にどれだけダメだしや否定をされても投げ出さず、
打たれ強くなって行けるか。
其処に懸かっているのでしょうね。
世の大人達も“飴と鞭”の使い分けのバランスを心得ていたいものです。