2008年 8月
仏様にお唱えするお経の中に皆さんも良くご存知の“般若心経”が在ります。
写経でも良く行われますし、又、お遍路へ行った事のある人ならば、各寺々毎回お唱えします。
本来大きくまとめての意味は、目に見えるモノに囚われず、欲を減らして無の境地になりなさい
という教えであります。
“色即是空・空即是色”というのがそれです。
その中で、又、六根・六境というのがあります。
まず“六根”というのは、認識を起こす根源として、“眼・耳・鼻・舌・身・意”というこの六つがあり、
六根の働きによって感じられる現象又はその対象として“六境”があります。
一、 色・・・眼で形を見る
二、 声・・・耳で声を聞く
三、 香・・・鼻で香りを嗅ぐ
四、 味・・・舌で味を味わう
五、 触・・・身体で触覚を感じる
六、 法・・・心で色々な事を思う
ここまで説明すると、“ああなるほど、そうか”と納得されると思いますが、
実はここまでは只の区分けの境界線を定める器官と対象に過ぎません。
次に、その器官が対象を捉えて認識する世界“六識”というのが出てきます。
例えば、眼で見たソレが赤い、耳で聞いた音が大きい、鼻で嗅いだこの香りは薔薇の匂いだ、
という認識だけであって、そこから危険だとか、情熱的だとかの
個人的なイメージを載せる処にまでは行っていません。
耳で大きい音を聞くこれも同じで、ソレが五月蝿いと感じるのか、元気があって良いと感じるのか、
又はその薔薇の匂いが好きなのか嫌いなのかまでは及んでいません。
単なる“情報の認識”です。
ところが、人間は五感の動物であると言われます。
先程の“眼・耳・鼻・舌・身”によって感じ識別するという事でしょう。
その世界が“眼識・耳識・鼻識・舌識・身識”です。
でも、厭くまで“般若心経”の教えは、決して“五識”ではなく、
其処に“意識”を加えた“六識”であります。
五感で感じた様々なモノを、どう感じ・どう想うかは最後の六番目の“意識”が司っており、
人のコンピューターのコントロールタワーって処です。
不思議なもので、常識的な五感からは説明出来ないモノを“第六感”と位置づけるのも
其処から来ている事なんでしょう。
面白い符合ですよね。
このように意味が解ればお経も又“オモロー”ですよ。