2008年10月
人が私の処に悩みを相談に来る時、大概は自分以外の人物や障害物となっている事柄を挙げ連ねて、
“だから困っている、だから出来ない”根拠としています。
確かにそれらの要因もあるのでしょうが、前にもお話しました様に、
自分の身の上に起こる事柄は少なくとも、自分にもその原因はあり、
“私は悪くない”と言ってしまうと外道になってしまいます。
皆さん解っている様で、実は解っていない。
私が“あなたにも悪い処があるのだから、相手のせいにして、投げ出してしまう訳にはいかへんよ”
と言うと、“ほな私が辛抱したらエエ言うことですか?
相手にも原因は在るのに、それは責めずに私さえ我慢したらエエ言う事なんですか!?”と
如何にも、心外そうに、不服そうに、又、恨めしそうに文句を返して来る人が居ます。
いいえ、私は、あなたさえ可哀想を辛抱していればいいなんて言っていません。
“自分さえ辛抱する、我慢する”というのは、“本当はしたくないけど、本当は嫌だけど”という
但し書きが付きます。
そんな余計なモノを付けたままでは、それこそ本当に解った・理解したという事にはなりません。
仮令そうした処であなたの心に問いかけて御覧なさい。
納得していないでしょう?不満が残っているでしょう?
ソレでは解決に至りません。
辛抱・我慢ではなく、そのまま全て受け入れる。
相手の悪い処も、自分の悪い処も全部ひっくるめて受け止める。
冷静に“ああ事態は、こういうことなんや”と、あなた自身が納得することが必要なんです。
それが出来れば、子供じゃないんですから、腹を括ってあなたの方が先に悪い処を改めなさい。
相手が変わってくれない事を怨むのではなく、あなたが変えなさい、変わりなさい。
誰の為でもない、あなた自身の為に。
“何でよ、そんなん割りに合わへんわ”と言わずにやって御覧なさい。
必ずあなたの求めていた答えが現れて来ますよ。
どなたにとっても是は普遍の真実です。