2008年 1月
2008年明けて一回目の恩思恵は、これを読む人全ての人に当て嵌まる話です。
“あなたは誰の子供ですか?”そう訊かれると一瞬“えっ”と思うでしょうが、仮令歳が幾つであれ、
人は必ず誰かの子供です。そうですよね。
母から産まれ、父からその血を貰っています。
いつも言っている事ですから、“又、雄映先生の親孝行せぇよの話やで”と思うでしょう、
ハイ、そうです。
この間、NHKの「変わり行く中国」というドキュメンタリーを見ていると、
奥地の貧しい家の女の子が、自分が学校に行く為に一生懸命働いてくれている親に、
“私はまだ力が無くて、親に恩返しが出来ていない。きっと偉くなって、父と母を楽にさせてあげたい”
と泣いていました。
今の日本では殆どこういう状況も、又、親に対して子供がこのように思う事も、見られなくなりました。
まぁそれだけ皆が昔と比べて裕福になったという事なのでしょう。
でも考えてみれば、親というものは、心も労もお金も子供に注ぐのに、
何の見返りも本来求めてはいません。
“これだけお前に注ぎ込んだんやから、絶対返してもらうぞ”とは思いません。
それこそが“無償の愛”なんです。
ですから、子供の立場にある者は、“親孝行”というのを勘違いしてはいけません。
何も“こうしなければならない”とか、“ああしなければいけない”等というのは、無いんです。
只、“倖せであってくれる事”“笑顔であってくれる事”
本当に親が子に望む事は、たったそれだけの事なんですよ。
仮令幾らいい人であったとしても、隣のおっちゃんが千円のお金をくれる訳ではありません。
幾ら優しい人であったとしても、隣のおばちゃんが、飯を作ってくれる訳ではありません。
父親だからこそ、母親であればこそ、それこそ其処に何も求めない
“無償の愛情”が、子供であるあなたに降り注がれるんです。
それが解れば、各々の形で“あぁ自分は倖せなんやな”と思えている姿を、
あなたの親に見せてあげなさい。
是が何よりもの雄映先生の言う処の“親孝行”なんですよ。歳は関係ありません。
もし、親が亡くなっておられれば、先祖供養をしっかりしましょうね。
その姿も又、次の子供に必ず伝わって行くものです。
年頭に当たって、皆各々が、心に刻んでおきましょう。