2009年 6月
人はいくら強い欲求から来る“こうなりたい”“こうしたい”という願望があったとしても、
この世に人と繋がって生きている限り、ただ自分の一面的な想いだけで事を進める訳にはいきません。
この事は皆さんもいたる処で感じていると思いますが、是を考えるという事は中々厄介な事です。
其れをすると、あの人には良くても、この人には都合が悪い。
この人は理解してくれるだろうが、あの人には多分無理だろうetc。
まるでパズルを当て嵌めるかの様に大変ですよね。
誰しも一番自分の思いが大事ではありますが、この様に悩んだ時の自分の答えの落とし処のヒントは、
“その人が怒る・その人に迷惑を掛けるから”ではなく、自分が其れをする事、又はしない事によって、
“その人が悲しむかどうか”此のものさしで測ってみれば、おのずと答えは見えてくると思います。
だからと言って全ての相手に対して其処まで考える事は出来ません。
其の範疇を何処までの関係のある相手に定めるのかは、貴方の心に問いかけてみなさい。
少なくとも外してはいけない何人かの顔は浮かぶ筈です。
其の顔が浮かんだならば、其れこそいくら自分がそうしたくても、
逆にしたくなくても実行してしまっていいものかどうか、
もう貴方の心には既に結果は出ているでしょう?
是は何も欲求・願望の頭抑えや、辛抱・我慢の無理強いではなく、
人が人としてこの世に生きて行く形、在り方だと思いますよ。
もし悩んだ時には是をヒントに考えてみましょう。
どんな事でも当てはまる事だと思いますよ。