2010年 2月
何時の時代もそうでしょうが、この仕事をしておりまして、
悩みの中で多いのが、息子を間に挟んでの“嫁姑問題”です。
結局解決策として私がお話するのも同じ事なんですが、この間江戸物のお話を読んでいて、
“ああ、これって今も全く一緒やん”“ホンマ何時の時代も変わらへんねんな”と、
感心した件がありましたのでご紹介します。
(注:まあ多少は私の創作も入っておりますが)
「息子は女房を貰うまでが華。
どんな親孝行な息子でも、そうなったら母親より女房が大事に決まってる。
だからおっ母さんは腹を立てずに嫁に渡す事だね。
そしたら嫁は、そのおっ母さんの寂しさも汲んでやって、ちっとは優しく立ててやるもんだ。
亭主が少々“母親贔屓”をした処で、鷹揚に目をつぶってな。」と書いてありました。
姑と嫁各々の心構えについてです。
どちらの立場からしても、その息子也旦那也を愛しているのに変わりはありません。
しかし其れを挟んで向こう岸とこっち岸に立っているお互いにとっては、
見えている景色は全く違います。
“私はこうやのにお姑さんが”とか“私はこうやのに嫁が”と必ずと言っていい程、
其の見えている景色が違う事にダメ出しをし、違う事を認めようとしません。
ですが、先程も言った様に違っていて当然なんです。
何もどちらかが一方的に無理な辛抱我慢して、相手に合わせる必要など無いんです。
お互いの違いを“そらそうやわな”と認め合えれば。
そして其の後に、そうであるならどうしてあげるのがいいか、
又、自分がどうあるのが一番いいか、VSの感情を抜きにして冷静に考える事が必要です。
お互い来た道・行く道、譲り合いの精神、即ち思いやりの心が大事なのは何百年経ち、
幾ら時代が変わろうとも人の真実としては何一つ変わらず同じなんですね。
今其の立場に無い人でも解っておいて損はありませんよ。