2010年 3月
今月は、今では無くなりつつある“待つ”という事について考えてみましょう。
人が“賢く誠実である”為の条件の一つは、決して事を無理強いして急かし過ぎない。
短急に結果を求め過ぎない。という事です。
結果はどうあれ、今回のオリンピックのフィギュアの選手たちも
其々前回のトリノオリンピックからの4年間という年月を掛けて、
努力と鍛錬とモチベーションの維持を続けてきた集大成の上に辿り着いたメダルです。
この事は皆さんも解ると思います。
ですが、毎日の生活の中で自分の事に対してもそうですが、
特に其れを求める相手に対して“一を聞いて十を識る”様な目から鼻へ抜ける程聡明で、
すぐに結果を出せるのなら当然それに越した事はありませんが、
だからといって時間が掛かる者や時間が掛かる事、
そして結果を出すのに掛かる時間を疎んじてはいけません。
インスタントラーメン一つをとっても最初は5分、次に改良されてカップヌードルが3分待つ、
是だけでも画期的な筈でした。
ところが今は其の3分すら待てない。
レンジでチンの1分食品が持て囃されている様です。
勿論進歩と便利を求めるのは人間の知恵と役割ではありますが、
電化製品を始め、“待つ”事が出来なくなった人間は一体何処まで求めるのでしょうか?
特に21世紀に入ってからの携帯とインターネットの加速度的な進歩に従って、
瞬時に世界と繋がるツールを手に入れ、
居ながらにして欲しい答えがすぐに手に入る世の中になってしまいました。
本当は“待つ”事の美学は、日本人が一番良く知っていた筈です。
農耕民族ですから米が実るまでの時を慈しんで来ました。
又、日本には酒・醤油・味噌を始めとして様々な貴重な発酵食品が沢山在ります。
是らは身体に良いのは言うまでもありませんが、其の本当の値打ちの真髄は、
“機が熟すまで待つ”という処に在るのです。
人と待ち合わせをする事が無くなり、其の待つ間の胸の高鳴りや不安も含めて、
会えた時の嬉しさもそれほど感じられなくなり、
ちょっとでも自分の番が遅ければ、権利を主張して怒り、信号すら待てない。
其れこそ昔の標語に“狭い日本そんなに急いで何処へ行く”というのがありました。
何も回顧主義になって昔ばかりが良かったというのではありません。
本当に望むものを手にしたいと願うのならば、目的意識をしっかりと置いた上で“待ち”なさい。
其処に掛かる時間を疎ましがってはいけません。
蒔いた種は世話という努力を怠らなければ必ず実りをもたらしてくれます。
“正しき待つ心”は必ず繋がりますからね。