2012年 3月
東日本大震災が起きて一年を迎えます。
その後の原発問題や被災した人々の、中々元には戻らない生活の大変さは未だに続いています。
これらの人々だけではなく、人が人として生きておれば様々な人が居て、様々な人と繋がって
様々な人生が在ります。
こんな天変地異の様な大きな事から、日常の他の人から見れば取るに足らない小さな事まで
千変万化色んな出来事が起こります。
其れを受け止める力と決して被害者意識を持たない事、此の二つが大事である事は、
いつも繰り返し皆さんにお伝えしていますが、事の大小を問わず、唯運命だと諦めてしまうのではなく、
ちゃんと乗り越えていく、其の為の文章を時代小説の中に見つけました。抜粋してみます。
“決して自分で自分を憐れんじゃならねぇ
そうなったのがおめぇの定めなら 堂々とその定めに乗っかりな
おめえは こんなにもあっけなく消え去る夢だとは思わなかったと言うだろう
でもな 定めとは荒ぶれた濁浪のようなものだ
人の儚い願いや望み事など瞬く間に呑み込んで砕いてしまう
そうであるなら いつまでも己を憐れんでしゃがんで居ては心まで易々と押し流されてしまう
だけだ 負けちゃなんねぇ 自ら定めの波頭に乗っかり前へ進むしかないんだ
諦めなけりゃ道は自ずと開けるもんだ きっとお天道様は見て居なさる”
全然此の震災とは関係のないもっと前に書かれた文章ですが、
一年たった今こうやって照らし合わせてみると全ての意味の流れが繋がります。
生半可な慰め論を言うつもりはありませんが、やはり一人一人が幾ら見たくはなくても、
其の事実を正面から受け止める・受け入れる。其処からしか始まっては行かないのです。
今、本体の船である“日本丸”の行方も定かではありませんが、
あの3.11という同じ日を初めて迎えるにあたってこんな想いを持ちました。
全ての人にエールを送ります。