2012年 5月
生きておれば人其々に他人には解らない悩みやしんどさを抱えている人が沢山います。
でも果たしてそれがどう考えても解決できない事なのか、言い換えれば其れが解決しなければ
本当にどうにかなってしまうものなのかをちょっと感情抜きにして冷静に考えてみましょう。
其の為の整理の方法として是は前にも言いましたが、人は皆全て複数のポジションの上に立っています。
ちょっと考えただけでも個人・社会人・仕事人・父・母・夫・妻・子・孫・誰かの友人であり、
知り合い・男・女etc・・・。一人の人間が是だけのポジションを同時に担っているのです。
其処で例えば今あなたが夫婦の事で悩んでいるとする。夫の愛情を疑ってそんな自分に嫌気がさして、
夫に否定されても疑いは晴れず余計にいらいらして険悪になる。
“私の気持ちなんか誰もわかってくれへん”と被害者意識の鎧を着てしまう。
確かに最悪で出口が無い様に見えますよね?でも是はどのポジションに立ってのというより、
どのポジションに固執しての穴に嵌ってしまっているのでしょうか。
もう解りますよね?自分・妻・女、此処にしか立っていません。
この人にはまだ小さい子供もいます。この人が訴えている不安は当然理解できます。
でも其処にはもっと大事な決して外してはいけないポジションが抜け落ちていませんか?
何も個人の想いを犠牲にせよとは言いませんが、この人は母親ですよね。
しかも子供はまだ小さいんですよね。
其の不安と不満の剣を振り回すことによって、母であるポジションを放棄しています。
女であるなら母性絶対主義だと断定はしませんが、今自分がどのポジションに立って考えるべきなのか、
どのポジションを一番大事にしなければならないのか、そして今自分が其の選択を間違っていないか、
という事を其れこそ冷静に判断すべきです。
子供に対する情操教育の大切さはよく言われる事ですが、何も大層な事は要らないのです。
親が特に母親がゆったりとした気持ちで居る事、そして夫婦がしっかりと信頼し合えてる事、
只其れだけを子供に見せてあげられれば十分なのです。とりあえず否定をしているという事は
夫も家庭を潰す気は当然ありません。よしんば其処に怪しい何かが在ったとしても、
其の毒を入れる事によってあなたがブレてしまうことが子供にどんな影響を与えるのか、
もう答えは言わなくても解るはずです。毒を心と身体に入れて元気で居れる人など一人もいません。
例え少々どうあろうとブレて潰れてしまわない為の歌があります。
最後に詠んでおきましょう。
“世の中は 気楽に暮らせ 何事も 思へば思ふ 思はねばこそ”-後水尾天皇-
何処まで行っても詮無い事を思って悩んで思い煩うて辛くないか、少しでも気持ちを楽に
過ごしたいと思うのならその執拗なこだわりを捨てなさい。思わぬ様にすれば楽になれますよ。
“でも其れはただ思わぬ様にして現実から目を逸らしているだけではないんですか”と
思うかもしれませんが考えてみて御覧なさい、
あなたがキーキーいらいらせず、ふんわりと柔らかく信頼の絆を結んでいればどう変化していくかを。
あなたがそうなれれば事態も必ず好転しますよという意味です。