2012年 6月
景気の流れも手伝ってか、ここ最近大学生の就職難が続いています。
高校を出て就職する者はある程度学校が責任を持ってくれ、又専門学生もそのスキルを通して
学校と企業が繋がっていますから大学生ほど仕事がないということはないのでしょう。
今は殆どといえば語弊がありますが、大学も義務教育の最終形の様な感じになっています。
ですから、今更其れが最高学歴だと武器にも出来ません。
何のスキルも無いままそして年齢も二十歳を超えていますから、“真っ白な素直さ”よりも
其々のプライドに因る“自己実現”ばかりを目指そうとします。
中には、50社も60社も蹴られたという若者もいますが、
本人は決して選り好みをしているとか、高い理想に固執している訳ではないと言います。
でも果たして本当にそうでしょうか?
“自分のスキルを生かして御社で自己実現を目指します”なんて言います。ですが、そもそも
自分の思う様な自分の好きな形でないと自己実現でないと思い込んでいる方がおかしいのです。
皆、口を揃えて一様に“正社員 正社員”と連呼します。
昔は終身雇用制度という日本特有の形が在って、自分の身を会社に捧げる事によって
其れと引き換えに正社員という安定を保証されていました。
だからこそ一旦定めた仕事を一生の仕事にするという覚悟を決めたのです。
仕事を次々と変わる奴はもうそれだけで人としての値打ちは見てもらえませんでした。
是は結婚制度も同じです。ところが現在では“転職を繰り返すのも別に悪い事ではない
より以上に自分のステップアップを求めてより自分に合ったものを選ぶんだ”
結婚しても“この相手では自分の描く夢は実現できない。だからもっといい人を”と簡単に離婚する。
実は選ぶという事の裏には良い事だけではなく、其処には当然リスクも付いて来る
という覚悟が抜け落ちてしまい、選んだ自分が認められない事に落胆したり、被害者意識になる。
やっぱりおかしいですよね?
何も昔が全て良かったとは言いませんが、生きる事が何よりも大事であった時代、成人すれば
生きる事は即ち働く事でした。そして働く事は自分を含め家族や愛する人を守る為でした。
決して自己実現の為等という甘い事は言っていられませんでした。余程の事が無い限り、
好き勝手に仕事も選べませんでした。
農家の子は農家、漁師の子は漁師、酒屋の子は酒屋と選ぶより前に自分の生きて行く場所を
受け入れて其処に力を発揮していったのです。
皆が豊かになって何でも自分で選べる様になって、何よりも先にその目的が家族や愛する人の
為ではなく“自分の為”が選択理由となり、生きる事と働く事と愛する事がバラバラになって
しまった結果この様な状態になってしまっていると思います。
人としての最後の矜持まで捨てろとは言いませんが、やはり何処かで“自分可愛さ故の拘り”
を捨てきれないでいるのです。ちょっときつい意見かもしれませんが、時代も変われば制度も変わり、
その中で選ぶという事の裏の責任も在るのです。