2013年 2月
今年のNHK大河ドラマ“八重の桜”が始まりました。是は幕末の会津藩のお話ですが、
開国か攘夷かと揺れる中で最後は可哀想な白虎隊の話へと流れて行きます。
会津の教えは特別堅く“ならぬものはなりませぬ”という厳しいものでした。
日進館という学問所で、侍の子供たちは幼い頃から厳しく躾けられました。
其の元となっているのが、中国の聖人達が定めた儒学の教えです。
本家の中国は勿論の事、今の日本でもこの厳しい教えは稀薄に成りつつありますが、
徳川の何百年にも渡る間、ずっと底辺に流れ続けていたこの教えは、
やはり日本人の根幹を成すものではないかと改めて感じます。
其の中で“四書五経”といって大学・中庸・論語・孟子の四書、そして詩経・書経・春秋・礼記・易経の
五経を学びます。此の中に先を観る占術である易経もちゃんと学問として入っています。
今では様々な形が在りますから“何や占いか そんなもん”と軽んじる節もありますが、
そうではないんですよ。そして其の四書五経を通じて、人が生きて行く上でしっかりと
心身に刻み忘れてはならない五つの教え五教があります。
一、孝・・・父子親あり 親孝行の孝であり、勿論親をはじめとして祖父、先祖に感謝し大事にする
二、忠・・・君臣義あり 昔は殿様にですが、今でも上司、目上の人を尊敬し、敬う
三、礼・・・夫婦別あり 違う処で生まれ、違う育ち方・価値観の者同士が一つのものを作り上げる
だからこそ、礼を踏まえ軽んじてはならない
四、義・・・長幼序あり 兄弟の間で上であるからこそ受ける徳もあれば負わねばならぬ責もある
下であるからこそ受ける損もあれば可愛さ故の愛(めご)もある
五、信・・・朋友信あり 人と繋がり共に歩もうとするならば相手への信頼なくしては成り立たぬ
この五つの教えを改めて見てみると、やはりとても大切な人としての形が見えて来ます。
実際生きておれば時代も違いますし、中々この“ならぬものはならぬ”の教えを守り抜く事は
大変かもしれません。ですが私が前に“人は同心円の中で生きている”という話をした事が
ありますが、まず自分を芯として次に自分の相手・伴侶、次に子供・親・兄弟、そして親戚・縁者・
知人・友人、最後に社会へと拡がって行きます。
正しく水面に小石を投げた時に出来る波紋の広がりの様に。
不思議な事にこの同心円という字は“同じ心を持ちて円やかに輪になり繋がって行く”という
意味になるんです。如何に心が大事であるか、そして其の始まりはいつだって
自分始まりなんだという事を教えてくれています。
人が生きて行くという事は“円環”自業自得とか因果応報とか言われますが良い事も悪い事も
全て自分に返って来る。そして其の全てが“縁環”となって行く。
只単に自分が良かったらではなく子供の代にも繋がって行くのです。
是を守るに値しない尊敬できない相手や納得出来ない事柄も在るかもしれませんが、
出来る出来ないは別にして、この人としての五つの教えは頭と心に置いておいて損はありません。
不愉快な出来事に遭遇した時の、ともすれば暴走しそうになる自分の感情への戒めかも
しれませんね。人としての“円環”と“縁環”を護る為にも。