2013年 9月
何かあると直ぐに“私なんて”とか“私なんか”と言う人がいます。
あなたがそうであっては困りますが、周りには必ず一人は其れが口癖の人が居る筈です。
“いえいえ私なんてまだまだですよ”と只単に賢く謙遜出来る人はとても爽やかですが、
本当に自己否定が過ぎて自信が持てずに、“私なんか絶対幸せになられへんねん”などと
根深い闇に嵌ってしまっている人は、其の本人が心の扉を開かない限り、どうしてやる事も出来ません。
開きさえしてくれれば過去に遡って、其の思いがいつからなのか、きっかけは何だったのか、
其の原因に遡る事はできます。
是までも何人もの人に対してセラピーをして来ました。
ですが是は厭くまで私が長い間積み重ねて来ている専門分野でのお話です。
此処で問題なのは、ただ“そんな事ないよ”と言って欲しいが為に、
常に“私なんか”“私なんて”と言っている人です。
そう言われると人間関係に波風を立てたくないので“そう言うて欲しいんやろな”
というのが仮令見えたとしても“そんな事無いよ”と一応励ます。
でも又言う。
其処で“これは相手の仕掛けたゲームに嵌っているんやな”
と解ったならば、もうやめておきなさい。
“あら、そう”“ふぅん、そうなんや”と返しなさい(“そうね”“ホンマやな”の様に
“ね”や“な”をつけてしまうと、自分も相手を否定する事になりますから)。
これなら相手を否定する事にはならないし、本人が言った事をただ受け流しただけになるので
波風も立ちません。でも相手はそう言われると拍子抜けするでしょう。
自分のゲームにあなたを巻き込めない訳ですから。
でもやはり“そんな事ないよ”と言われ続けたい・言われて安心したいという思いは消えず、
其の都度自己確認をする為の“私なんて”でしかないのです。
そんなやり方でしか自分の事を確かめられないのはとても悲しい事だし、
又、相手を疲れさせている・うんざりさせているという事に気付くべきです。
いつもニュートラル・ナチュラル・フラット・クリアーである事が大事だと言っていますが、
其れは相手や物事を見る目に対してもそうだし、
逆に自分を評価する目に対してもそう在らねばなりません。
今回取り上げた様な、そんな相手を通してでしか確かめられない
回りくどい自己評価はやめておきなさい。誰の為にもなりません。
それと同時に、是はいざという時に“出来ない自分の言い訳の予防線”を
張っている事にもなりかねません。
何でも物事を行動に移す時には、勇気とやる気と努力が当然要りますが、
“私は出来る・私には出来る・私だからこそ出来る”と信じなさい。
其れこそ“清水の舞台”を飛び降りるか、飛び降りないかはあなた次第なんですからね。