2013年 6月
日本は、古来より神の国と言われていますが、
そもそも日本に於ける“神さん”て何?と思いますよね。
国産み神話が生まれるもっとずっと前から神さんは存在しました。
其れは元々自然崇拝から来たもので、其れを畏れ敬い奉る存在であったのです。
今日も又生きている(生かしてもらっている)事への生命への感謝は、
今の自分達の其の累々たる過去の生命の遥かずっと先に
宇宙が作り給うた自然神と共に先祖神にも向けられました。
人は死ねば天に召される
=上へ上がる(其の上がる場所は隠り世と言われる)
=高い処に神は居る
=目に見える形で一番高いもの即ち御山が神への信仰の対象になったのです。
そして自然神の括りの中には勿論、太陽・月・星そして大木・巨岩・大滝etc・・。
全て見上げる様な高い存在でした。
小賢しい人間の知恵ではどうにもならない自然の脅威を
手を合わせて信仰する事によって加護を願ったのです。
神話は後から人が拵えたものですが、そもそもの神の道とは
“生命への感謝と自然との共存”に他なりません。
其処で“神道”ですが、“火は熾こせるけれど 水は作れない”考えてみれば本当にそうで、
火はなくても死にませんが水が無ければ人は死にます。だから水は神が齎してくれたものとし、
神道というのは人の身体と心の中を流れる清らかな水の流れであるとしたのです。
一説に因れば、イザナギの命が汚れを落とそうと水の流れで左目を洗った
(左の方が神聖とされる)すると左目から零れる様にして生まれたのが天照だそうです。
“禊”穢れを落として水に流すというのも此処から来たそうです。
地球は水の星と言われますが、不思議な符号で地球の7割そして人体の7割も水で出来ています。
日本は其の世界中でも国土面積から観る水量の豊富さは類を見ません。
神に供える供物-お神酒・山海珍味これらも全て水から出来ています。
“天照大御神”をお奉りしているお伊勢さんでも五十鈴川でまず身を清めるのもそうです。
昔は手だけではなく身体ごと清めていたのです。正しく心身共の“浄化”に当たります。
日本の神は八百万の神、いろいろな神さんが共存します。
いろんな価値や信仰・形があっていいんです。決してイスラム教やキリスト教の様な
絶対神では在りませんから、其々の個性を認めるとても大らかで鷹揚なものなんです。
絶対になんて無いんですから。
水に流すとは“赦す”事、間違った政治家が自分で勝手に“禊は済んだ”なんて言うのは
間違いです。其れが言えるのは水に流すのはされた方がする事ですから。
貴方も、もう水に流せる事があるのならば綺麗に流して浄化しておきましょうね。