2014年11月
来年度から子供たちの学校教育にも道徳の時間が復活するらしいですが、
私たちが子供の頃には今よりもっと一元的に“こうあるべきだ”という形を
それほど疑問を持つ事も無く受け入れられていた様に思います。
処が現在では様々で多様な価値観があり、其れを“一人一人の生き方・個性だ”と言ってしまえば、
一元的に一つの教えに纏める事など果たして出来るのでしょうか?
幾ら其れが正しい形であったとしても、国や文科省が帝国主義ではないのですから、
一方的に決めつける事は出来ないでしょう。
此の様に一方では複数の価値観の中で言論や思想の自由の権利を主張しながら、
又、一方では違う意見を言う者を認めようとせず、SNSの世界で叩き倒して血祭りにあげる
何が何でも可哀想な者の仮面を被って、直ぐに“~ハラスメント”の形を取って、
自分が正義に成ろうとする。
いつの時代もどんな物事でも人の間に横たわる道徳というものは、
其れに関わる双方に求められるんです。
弱い立場の者は其れを水戸黄門の印籠にして振りかざして当然だと思わずに
しっかりと賢い判断をして事態を弁え、出来るだけ頑張る。
其の思いを感じた強い又は上の立場の者は他人事だと切り捨てずに、
思いやりを持って出来るだけ援助する。
こう出来ればお互いの無為な権利の主張の鍔迫り合いなどする事無く、
ましてや何でもかんでも裁判沙汰にする事無く、本来日本人の美徳である
“和を以て尊しと成す”形に成れるのにと思います。
余程、特殊な形を除いては“VSの構図”を作ってはいけません。
其れは親子であれ、夫婦であれ、兄弟友達であれ、嫁姑であれ
全てどの関係にも当て嵌まります。
どんどんとギスギスした世の中に成りかけていますが、
大企業人でも政治家でも芸能人でもない普通の我々は、
其々が自分の反省をしながら譲り合って行く気持ちを決して忘れなければ、
もっと気持ちが楽な毎日が送れる筈です。
其れはあなたとあなたを取り巻く周りの人全てを守る為に他なりません。