2014年 7月
最近はどんな場面においても“お一人様”という形が流行っています。
旅行も食事もカラオケも何をするにもお一人様。
約9年も前に“生きて行く基本は一人でも大丈夫だという腹の括り”だと
この恩思恵の中で書いていました。
それは皆と一緒でも楽しいし、一人で居てもOKだという
どちらの場面においても臨機応変に対応していく力を持ちなさいという意味でした。
人と人との関係性というのは、二人ですることもあり、
三人で・四人で・五人で一緒にする事もあり、バラエティーに富んでいます。
ですが、昨今の“お一人様”というのは厭くまでロンリーセルフテリトリーであり、
自分以外の誰かと一緒に居たり、何かをするのは苦手だという共有空間や共同作業からの
逃避の様に思えます。
其れが仮令電車の中等というパブリックスペース(共有空間)であっても、
其の意識は持たず、自分の居る場所を私的空間だと捉え、周りは居ないのも同じの様に化粧したり、
モノを食べたり、まるで自分ひとりの部屋の様に振舞う。
其処に疑問も恥じらいも何もない。“何がアカンのん?”て感じです。
何をするのも行動にはTPOというのがあり、今、此の時、此の場所で、誰を相手に、
是をしていいものなのかどうか、人の頭と心には瞬時に此のTPOを判断する力がある筈なんです。
まあ是は小さい時から親や先生や周りに躾けられたり、教えられたりして、
身に付くものなのですが・・・。
其の基本が何だか全て消失してしまっている様な気がします。
最近ちょっと中学生の女の子と話をする事がありました。決して悪い子ではなく、
寧ろ普通のおとなしい子なのに、こちらが話をしても返事をしない。有難うも言わない。
“解ってるの?”と念を押しても只黙っているだけ。ちょっと怪訝に思ったので
“君らは自分の肉声で相手の目を見て言葉を話してコミュニケーションを取って、
相手と心のキャッチボールをするなんて事はしないの?”と訊くと、あまり無いと言う。
“じゃあどうやって繋がるの?手段は?”と訊くと、
文章にはならずに只“LINE”と単語だけが返ってくる有様。
スタンプという表情マークが在って、仮令自分が無表情のままでも
笑ったり・怒ったり・泣いたり、其のスタンプだけで済むんだそうです。
仮令、私ら世代には最先端のデジタルは縁遠くても、
其れが此の子らの世界では常識であるならば其れは別に構いません。
只、先程も言ったTPO、この頭のPCが作動しなければあらゆる面においての
臨機応変な対応は無理でしょう。
自分達の間ではそうであっても、この場合にはとか・この相手にはとか、
柔らかい応用性があればちゃんとした人付き合いが出来るのにと少し寂しく感じました。
そして一方ではロンリ-セルフテリトリーの殻に篭りながら、
常に誰かと繋がっていないと不安でスマホを離せないという大きな矛盾を抱えています。
しっかりとTPOに合わせて自分を演じ分ける
(これは何も悪い意味ではなくて知恵を使うという事です)
変化する、この力を持てば“お一人様”も“大勢様”も何も怖くは無くなりますよ。