2015年 2月
“会うは別れの始めとか”“サヨナラだけが人生さ”等の言葉がありますが、
世の中に出会いと別れ・始まりと終わりはいつも付いて回ります。
阪神淡路大震災から20年が経ちました。
前と同じ様に見事に復興を遂げているとはいうものの、
世の歴史が示す様に未来永劫変わらずずっと同じなんて無いのです。
卑弥呼の時代から大和朝廷の変遷・天皇の交代・時の権力の推移、等に伴って
日本は世界でも稀な西暦ではなくその都度変わる年号を持っています。
平家物語では“驕れるものは久しからず”と栄枯盛衰を説き、
鴨長明は方丈記で“行く川の水は絶えずしてしかも元の水に非ず”と
仮令一見前と同じ様に見えても、其処にあるモノは前と同じモノではない
と諸行無常を教えました。
其処でその虚しさを埋める為に人は常に変わらぬ仏の教えや神の存在に信仰を求めたのです。
其処までの大層なモノではありませんが、私も其の40年というか長い時間を掛けて
積み重ねた経験と知恵を用いて人の心の虚しさを取り除く為に
日々本分を尽くしているつもりです。
人が生きて行く中で一番の大きな変化は、人の“生死”であり、
禅の教えでも
生死事大(しょうじじだい)
無常迅速(むじょうじんそく)
各宜醒覚(かくぎせいかく)
慎勿放逸(しんもつほういつ)
という言葉があります。
“人の生き死にはとても大きなものなれど 此の世はすべて無常なり
常に永遠なるものはなし あっという間に変わりゆく
さりとて人の心まで 虚無に流さる事勿れ
今をしっかり生くるべし 今在る命を生くるべし”
という意味の教えです。
人が生きている時は自分の身体という器(入れ物)の中で生きています。
そして人が死ぬという事は其の入れ物が無くなる訳です。
ですが、其処で全てが消滅する訳ではありません。生きる場所を変えるのです。
もう解りますよね?そうです、自分以外の人の中で生き続けるのです。
あなたの中にも、誰の中にも仮令亡くなっていても、
大切な人はちゃんと心の中に・記憶の中に今も居る筈です。
そう思えれば誰の上にも等しく来るであろうお別れも怖く無くなります。
亡くなった人達はもう何処へも行きません。
いつもあなたの中にいて、あなたが倖せである様に、あなたが強くある様に
支えて見守って居るんですよ。
変わらない不変と変わって行く変化、
両方しっかりと対応して行きたいものですね。