2015年 4月
よく、これから結婚をする女性に(男性もそうですが)アドバイスをする事があります。
付き合っている時は勿論、惚れている訳ですから“痘痕も靨”という様に
良い処しか見ていません。又、相手もいい恰好をしようとしますから尚の事です。
処が、いざ結婚して一緒に暮らしだすと
“前はこんなじゃなかったもっと優しかった 結婚してあの人は変わってしもた”等と
誤算の不足・不満を嘆く事がよくあります。抑々其れが間違いです。
どんな物事にも、どんな人物にもあなたも含めて必ず長所・短所の両方が在ります。
長所は仮令放っておいても嬉しい良い処ですから、
誰でも無条件に受け止める事が出来ます。
其れでは短所はどうかというと、其れこそ自分にとって相手の嫌な処ですから、
出来る事なら受け止めたくはありません。其処が問題なんです。
恋人の時はお互い良い処だけでデートをして、例えば喧嘩をすれば
“もう知らんわ!プンプン!”と其々の家へ帰れば良いだけの話です。
ですが、生活を共にする結婚というのは、嫌だからといって逃げる訳にも行かず、
如何に相手の短所をも受け入れてどう折り合いを付けて行くかという事に他なりません。
ですから、結婚前にはしっかりと両目を開けてというよりも相手の欠点・短所は何処で、
其れは具体的にはどういう事で、果たして自分は其れをしっかりと受け止める事が
出来るのかどうか、言い換えれば、私さえ辛抱・我慢をすればではなく、
その短所を上回る位の長所・魅力が在って、其れ位の短所なら許せるのかどうかを
しっかりと自分自身にキツイほど問いかけてみる事が必要なんです。
そして“よっしゃオッケー 出来るわ”と腹を括れたならば、
結婚した後は敢えて“片目を瞑る”位の度量を見せなさい。
どうも殆どの人は結婚前が片目で、結婚後突然両目を開けて相手の欠点を詰る。
という間違いを犯しがちであるという話です。
最近もドラマで“残念な夫”というのがありましたが、正しく其れを描いたもので
只相手を責めるのではなく、パートナーはお互いの信頼の元、
余程人として壊れていない限り、片目を瞑って協力して行かなければならないという
基本をお伝えしています。
この間人間国宝である桂米朝さんが89歳でお亡くなりになりましたが、
其の1年前に88歳で先に逝かれた奥さんの絹子さんに
かつてインタビューをしていた映像が在りました。
“半世紀以上共に歩んで来た夫婦として米朝師匠はどんなお方でしたか?”
と尋ねられると、
“へそ曲がりというのか扱いづらい人でしたわ 本人はわざとしてんのか
ホンマにそんな性分なんかわからんけど 兎に角かなわん人やったわ
あんなん人間とちゃいますで”
“ほななんですの?”と問われると、
“幽霊・おばけや 掴み処があらへん”
“ほな人としてはあきまへんのか? 最低でっか?”
“いいやあ、是が最高ですねん ちっとも嫌やあらしませんねん 難儀なもんでんな”と
優しく笑っていました。
何だか夫婦として最高の褒め言葉で、最高の在り方で
気が付いたらポロンと涙が零れていました。
自分もこう在りたいなと心から願ったのは言うまでもありません。