2015年 5月
私も気が付けばそんな自覚も無いままに、時と歳だけが重なって
何だか満六十歳、所謂“還暦”を迎えました。
人生五十年と言われていた昔流に言えば
“赤いちゃんちゃんこと大黒さんの様な帽子を被って後は余生を送る”
という事になるんでしょうが、今は周りも自分も更々そんな気は無く、
まだまだ元気で現役だし、倖いな事に定年の無い仕事をさせてもらっているので
余計に積み重ねた知恵と経験がモノを言って来ます。有難い事ですよね。
其処でやっぱり厄払いはしましょうという事で、
この間宍粟市一宮町にある伊和神社にお払いをしてもらいに行って来ました。
神主さんの祝詞の文言の中で私なりに感じた事をお話します。
還暦と言うのは60年で一回りというひとつの区切りを迎える訳ですが、
其れは今まで自分が長い間ずっと使って来た箸を奉書の紙に包んで、
もう神さんに納めて“是までお世話になりました 有難うございました”と
一旦返納するという事なんです。
そうなると新しい箸が必要になります。
其の時に是迄の自分が知らぬ内に犯して来たであろう罪や咎を
じっくりと時間を掛けて振り返って反省しなさい。
“ああそうやな”と理解したならば新たな箸の中には其れは取り除いておきなさい。
其々の箸というのは勿論比喩ですが、
生きて来た中での自分の言葉や行動や感情や考え方や価値観等の全てです。
いつもお伝えしております、ニュートラル即ち偏見を持たないゼロ地点に
もう一度立つという事なんです。
自分なりに振り返ってみると其れほど大きな罪は犯した覚えはありませんが、
多分物事や相手に対する怒りの感情なんだと思います。
最近函館へ旅行しました。
何も函館に限った限った訳ではなく、地方都市は皆そうなのかもしれませんが、
何しろおっとり・ゆっくり急きも慌てもしない、
待たせている方もちっとも悪気はなく、待たされている方も全然イライラしない。
我ら関西人は特になのかもしれませんが、めっちゃ気が走っていて
“そんな事しよったら人さんに迷惑掛ける”という気配りも手伝って
“トロイ事は牛でもする”とばかりにとっても時間短縮というか兎に角遅い事を嫌います。
俗に言う“いらち”ですよね。其れが為に人にきつい事を言ったり、
気に入らん事を態度に出してしまったりするのでしょう。
おっとりとしていると認識している私でさえそんな事はやはり度々在ったんでしょう。
人の振り見て我が振り直せではないですが
“ああこうやって生きとったらぶつかる事も揉める事も摩擦もなく暮らせるんやな”
と感じました。まあ反省点はそんな処です。
何も還暦だからだけではなく、皆さんの中のイライラ虫・イガイガ虫を
一度取り出して退治してみる事も必要かも知れませんね。