2015年 6月
最近のドラマに“Dr.倫太郎”というのがあり、堺雅人が精神科医を演じています。
現在は大学病院の中にあってはどうしても利益追求・効率優先を追及し、
本来人の心に沿うべきである傾聴治療というのが疎かになり、
只PCの画面だけで症状を確認し、患者の目も見ずに薬を処方するだけという
ドクターが増えているのも事実です。
特に精神科医にはそうじゃない形が求められる訳ですが、
この主人公は仮令時間を掛けてでもしっかりと患者に寄り添い、
其の不安や傷みを全て受け止めた上で
“あなたが良くなっていく為にはこれから何に注意すべきか・どうすればいいのか”を
ちゃんと患者に納得してもらう。という本来在るべき手法を取っています。
其れを見た時に、医者でも無い私が言うのはちょっとおこがましいですが、
“ああ是って私がずっとこの40年間してきた事と全く一緒や”と感じました。
そんな事と思うような事であっても、其の本人にとってはとても重要で
切り離せない事であったりするからです。
其処でこの頃とみに、トラウマやPTSD(精神的外傷そのものや
其れを受けたが為の心的外傷後ストレス障害)という言葉が頻繁に使われ、
“だから自分がこう出来ない・しようとしても其れが邪魔をして出来ない”
理由の代名詞のようにされています。
確かにその様な原因となった不幸な体験があったのかもしれませんが、
ユング・フロイトと並ぶ世界の3大心理学者のアドラーは、
“トラウマは存在しない。是迄の人生に何が在ったとしてもあなたが今後の人生を
どう生きるかについて其処に何の影響も無い”とまで言い切っています。
そして“あなたの言うソレが・過去があなたを規定するものでは無い。
自分の人生を決めるのはあなたの過去ではなく、現在のあなた・自分自身が決めるんだ”と。
何だかちょっと堅苦しい言い方になりましたが、
“逃げるは易し 向かうは難し”という事なんでしょうね。
大きな事から小さな事までソレを理由にして逃げているだけでは、
新しい形は決してみえません。BrandNewDayはやって来ません。
出来ない理由ばかり数えて自分が頑張れない事のすり替えにしているからです。
そうではなくて辛い体験も全て受け止めた上で、冷静に事実と現実はこうなんだと理解をし、
じゃあ次に何をすればいいか・どう考えていけばいいかを実践するのです。
一人では無理であるのなら、私で良ければいつでも此処に居ますからね。
お手伝いは出来る筈ですよ。