2015年 7月
“天皇の料理番”というドラマがあって、その中で日本人の料理人の心得として、
こんな話がありました。“良い食材が揃い、一流の調理器具もあり、料理の腕も確かである。
是だけ揃うと誰もがすばらしい料理が作れると思う。
だが、日本人であるならば其処に忘れてはならない一番大切なもう一つがある。
其れはまごころだ”と主人公が教えられます。
今、世界中で盛んに日本人の几帳面さだとか、思いやりや心配りだとかの“おもてなしの心”
が注目されていますが、どんな小さな事でも其処には其れを受け取る相手がいて、
其の相手の為に心を込める。日本人であるならば是は何も特別な事ではなく、
自然に出来ている事だと思うのですが、
そうじゃない人が増えているのも事実かもしれません。
最近行った函館のトラピスチヌ修道院で、マリア像を買い求めました。
私は何もクリスチャンではありませんが、やわらかく子を想い包み込む母の姿は、
万国共通の胸に来る想いがあります。
前にも一度イエスを抱いたマリアを買ったのですが、
今度はやわらかく下向きに少し両手を広げた姿です。
人として在りたい形は正しく是なんだなと感じました。
肩肘を張って無理をして大きく両腕を広げ、全てのものの為にではなく、
其々の手に合う、心に負荷を掛けない形での自分以外のものに対する“まごころ”です。
あなたは周りの身近な人に対して其れが出来ていますか?
其々に合う形でというならば、お金に余裕がある人はお金でもいいでしょう。
又自分の身体を使って出来るお手伝いでもいいでしょう。
そして、其処まで行かなくてもあたたかい言葉ひとつ、やさしい笑顔ひとつ渡すだけでも
是も又、紛れも無いあなたのまごころなんですよ。
“まごころ”というのは円滑な人間関係をおくる為の目に見えない
“命の水”だと思います。
“まごころ”吝嗇(ケチ)にならないようにしましょうね。