2016年 7月
最近どうも日本人が、“不寛容”の時代になっていると言われます。
他人の失敗や間違いを許さない・何処までも責任追及する、
又は自分の思う形で無いものは認めようとしない、という形です。
最近では“舛添”ですが、確かにアレは世界にでも話題になって
日本語の“セコイ”という言葉が“欲得にチマチマとしてケチ臭い”という意味だと
認識されたそうですが、情けないですね。
その反面、イチローの素晴らしい記録もありましたが、
賢いイチローは“精査・第三者”とか“号外が出た”とかの
皮肉のウィットを効かせていましたね。
でも、猫も杓子も全員で追い詰めた結果どうなったでしょう?
“辞めたらエエんやろ!辞めたら終いじゃ!”とばかりに幕引きされて、
あれだけ追及していた政治資金・政務費などの公私混同の真相も糺すべき事実も
一切何も解明されず、全て藪の中・闇の彼方へと葬られてしまった。
ましてやザル法だと言われている政治資金法改正など何一つ及ぶことなく。
皆が本当に欲しかったのはただ辞めさせる事ではなく、その究明だった筈です。
もう少しだけ“賢い寛容”があったなら、仮令辞めると言っても辞めさせず
真相を言うと言っていたのだから、今回の事を“人質”として改めさせれば、
寧ろそれがストッパーの役割となって事実に辿り着いたのではないか?と思います。
勿論、その裏には選挙を踏まえての大きな力(自民党?)が働いていたんでしょうが、
皆で許さず突き落とした事で逆に権力の思う壺に嵌ってしまった感が否めません。
何に対してもどんな事にも須らく寛容であれとは言いませんが、全否定の不寛容ではなく、
“賢い寛容ーClevergenerous”が必要でしょう。
其処で“賢い”のアイウエオ作文です。
か ・・・ 形や格好に
し ・・・ 執着せず
こ ・・・ 拘らず
い ・・・ 如何にすべきか、如何に一番良い方法を見つけるか
という事だと思います。
間違った不寛容は、どんどんと自己中になって行くという事に他なりません。
歳を重ねて行くという事は、それだけ自分の体に年齢が載って行く訳ですから、
もう一方の自分の心に載せているものを一つずつ減らしていかなければ、
しんどくなってしまいます。
相手や物事を憎んだり嫉妬したり怒ったり責任追及ばかりして、
その失敗を許さなかったり、そんな重荷は外しなさい。
あるのは要るのはあなたの好きなものへの“愛するための時間”だけですよ。