2017年 9月
“あの人は自分の好きな様にする”とか“好きな様にしかせえへん”とよく聞きます。
“だから嫌い”となる訳ですが、好きなコトをする事、それ自体は別に悪い訳ではなく、
誰でも自分の好きなモノ・好きなやり方はあるのですから、
無理に嫌な事をする必要はありません。
あなたは“ちょっと・・・”と思う事でも、相手はそれを好きな訳ですから、
頭から否定する事は出来ません。
そこで自己分析が必要になります。
“なぜ自分はソレを苦々しく思っているのか?”自分に問いかけてみなさい。
そう思う人は、多分“私はこれだけ我慢しているのに”という
その相手と比べての“人の心の損得”
言い換えれば“私はこれだけ良い人でいるのに”というプライドが、
その相手と同等に扱われる、又はソレで済んで行くことが許されないのだと思いますよ。
でもまあソレも程度もんですから、その好きな様にしている人も度が過ぎて、
“好き勝手”になってしまっては問題ですが、
仮令辛うじてであっても、そのラインを超えてないのであれば、
目くじらを立ててキーッと怒るのではなく、放っておいたらどうですか?
余程あなたが腹に据えかねて、辛抱出来へんと思うのならば、
直接その人に感情を載せずに、
“この場合は、ソレはちょっとどうかと思うよ”と伝えなさい。
でもそんな人ですから、素直に聞き入れて“ほんまやな、気い付けるわ”と
ならないだろうと言うのは簡単に予測が付きますよね?
“放っとって!何よ偉そうに、アンタにそんな事言われたないわ!”
なんて言葉が、まるで聞こえて来そうです。
そうなると、あなたが悪い訳でもないのに傷ついたりしますから。
因果の法則と言うのが何に於いてもありますので、あなたが心を痛めてまで
世直し奉行の役を買って出なくてもいいのではないですか。
いつかは分かりませんが、後になって必ずそんな人の評価は、
自分のして来た事によって自ずと定められます。
それが決して良い評価でないのは言うまでもありません。
只、不寛容の時代になって、皆んながちょっと神経質に
善と悪という境界線を、勝手に引き過ぎている様な気もします。
例えば、皆んながカレーが好きと言っている処に一人だけ
“僕はハヤシライスが好き”と言った人を、
まるで空気が読めない悪と決めつけてしまう様に、
“何でそんな事言うんや”と責めても仕方ありません。
だってそれが好きなんですから。
この様にどうでもいい事と、ソレでは困る事とをしっかりと見極めて、
自分の感情をコントロールして行きなさい。
ほとんどの事は“まあエエか”のどうでもいい事の範疇に入れておくべき事だと思いますよ。
それが出来ればとっても楽になれますからね。