2018年 3月
今回の平昌・冬季オリンピックは、その建設や準備の遅れや、緊迫した北朝鮮状況もあり、
開幕を懸念されもしましたが、いざ始まってみればテロやトラブルも無く、
我々日本人にとっては史上最高数のメダルを獲得した胸躍る大会でした。
幾たびものスポーツマンシップの尊さを見る場面もあり、進化したそのスピードや演技の華麗さ
にも驚かされました。その中でも羽生譲くんの二連覇は魂が震える程の結果でした。
攻めた・勝った・泣いた。あんなに泣く羽生くんを見るのは初めてでした。
ジャンプどころかリンクにも立てない状態で、痛み止めを飲むということは、治療を諦める
悪化を覚悟で回復の優先を捨てる事に他なりませんでした。
それが証拠に本人の口から
“この2個目の金メダルを獲る為に本当に色々な事を諦め捨てて来た。
人としての日々の小さな幸せさえこの為には不要だと思った”と
我々にはとても真似の出来ない究極のストイックな発言もしていました。
誰に言われなくても、誰よりも自分の技術と演技に磨きと進化を求めて行く彼にとっては、
跳べるジャンプの難度を落とす事も苦渋の選択でした。
でもジャンプを飛び始めたのはオリンピックまでもう2週間を切っていました。
そして怪我をしてから四ヶ月ぶりのぶっつけ本番。
“この願いが叶うならもう滑れなくなってもいい”とさえ思ったそうです。
結果はもう言うまでもありません。自分の右足に感謝をしていましたよね。
そして最終日に“そだねージャパン”のカー娘たちが見事逆転の銅メダルを捥ぎ取りました。
ソチからの四年間の不運の連鎖を断ち切った高梨沙羅ちゃんも忘れてはなりません。
彼女達にもそれぞれの紆余曲折があり、渡部暁斗くんも高木菜那ちゃんも宮原知子ちゃんも
ロシアのメドベージェワも骨折や怪我を隠してのメダルでした。
そして笑って・泣いて・抱き合った。アスリート誰もが心にも躰にも傷を負いながら、
決してそれを表には出さず、言い訳にもせず、寧ろそれをバネとして挑んだのです。
“楽しいから笑うんじゃない、笑うと楽しいと錯覚をさせる為に無理にでも笑うの”
これはカー娘達の言葉です。どの国のチームを見ても、眉間に皺を寄せた厳しい表情で
試合に臨んでいる中、彼女たちだけがまるで無縁の女子会の様に楽しげでしたが、
やはりその裏には人には見せない決意と心身ともに厳しい鍛錬があったのだと思います。
オリンピック選手でもない我々が、これ程過酷な逆境・試練を乗り越えろとは言いませんが、
彼らから感じたもの・もらったものは必ず一人一人の心に残る筈です。
最後に演技後“勝ったーっ!”と何度も叫んだ羽生くんは、自分の躰に・勝負に、
そして何より二連覇を決意してのぶっつけ本番という過酷な状況の全てに勝利したのです。
兎にも角にも日本人選手含め、全てのアスリート達に感動の二週間でした。
心からのありがとうを贈ります。