2018年10月
人は毎日生きて行く、暮らして行く中で“〜良くありたい”と願います。
今回は、具体的な事はさて置いて、ちょっと抽象的ではありますが、
心掛けておくべき三つの“〜良く”のお話をします。
まず一つ目は“格好良く”。というと、形ばかりに捕らわれた“カッコツケ”や
“エエカッコシイ”なんてのが浮かぶかもしれませんが、決してそうではありません。
でも各々の立場での責任に於いての形は必要だという事です。
現在は言葉遣いも着る服もどんどんカジュアル化して、キッチリ・ハッキリと一線を引くという
ハードルが低くなり、益々曖昧になって来ていますが、仮令ソレが社交上の外見だけだとしても、
そういう服装をする事、敬語も含めその場その時に相応しい言葉遣いをする事は
年齢問わずに求められます。だから“格好良く”。
二つ目は“バランス良く”。
人も物事も決して単体、只それだけで成り立ち存在するものではありません。
全てあなた以外の誰かが居たり、ソレ以外の何かがあっての相対性なんです。
著しくどっちかに偏ってしまわない様、その状況々に応じての匙加減は必要となります。
何も中道を歩みなさいという訳ではありませんが、ちゃんとバランスの取れている人は、
安定していて人に負担を与えません。
例えば、人に頼るのと自分でやるのと、これもバランスですよね?
何時も々人に甘えて頼ろうとする他力本願も、
逆に余りにも頑なに、一切人に頼ろうとしないのも、やはりどっちも人に負担を与えます。
飽く迄これは一つの例えですが、何事も“〜し過ぎ”にならない様に、だから“バランス良く”。
そして三つ目は“センス良く”。
というとこれも又オシャレやファッションに関しての事だけに捉えがちです。
“あの人センスええなあ”となると、間違いなくオシャレだという事になりますから。
確かに今は衣食住どの分野に於いてもセンスの良い人は意識が高く、
オシャレなコーディネートをしていますから、憧れますよね?
でも本当の“センス良く”というのは、只それだけではなく、
人間関係の中での心遣いや、お金の遣い方や、その人自身の人間性にも
センスの有る無しは問われるんです。
いくら気を遣ってくれても、ソレがこれ見よがしの自己顕示欲によるアピールが入っていたり、
押しつけがましかったり、後に損得のお返しを求められたり、
となると、それは正しい心遣いとは言えませんよね?
又それは、お金の遣い方にも如実に現れ、それこそ常に損得感情が先に立ったり、
節約ならば良いのですが、人に払わせ自分は払わない意地汚いケチや、
それとは反対に無駄なお金を何の計画も無く遣い倒すなんてのにもセンスは感じられません。
これらを総合すると、結局その人の人間性にもセンスというものは現れて来るんです。
“格好・バランス・センス”どれも難しい事ではありません。
あなたの頭と心の中に何時もちょっとソレ(考える力)が備わっていればいいだけです。
煌びやかに必要以上に自分を飾る“綺麗”では無く、ちゃんと礼儀と形を踏まえた上で、
希望を忘れない“希礼”な生き方をしたいもんですね。
又、そんな生き方をしなさいよ。