2019年 5月
人が生きて行くという事は、ある意味ありがとうを何回言って、
又逆に何回言ってもらえるかで測れる側面もあるのかもしれません。
あなたがありがとうを言うという事は、日常生活の些細な事から
人生を左右する様な大きな事まで色んな場面に於いて、人に優しくしてもらった
人から情けをかけてもらったからです。
昔からどんな小さな事でも人に親切にしてもらったら、ありがとうを言いよと
教えられた私は、自分の子供にもそれを伝えて来ました。
息子は小さい時から口数が少なく、あまり自分から済済喋る子ではなかったんですが、
不思議とありがとうだけはどんな時でも・誰に対してでも言っていたんです。
もうおっさんになった息子ですが、この間それを言うと、
“何かの時に俺が言わへんかった事があって、その時お父にごっつい怒られた”
からだと言うんです。それ以来身に染み付いているんだそうです。
考えたらそれってめっちゃ人に助けてもろとる・ようしてもらってると言う事なんですね。
そう思うと、ありがとうをいっぱい言えた者は、それだけ護られているんです。
めっちゃラッキーですよね。
そして、ありがとうをいっぱい言ってもらえた者は、逆にそれだけ人のお役に立っている・
自分の損得は二の次にしても人に優しさを渡しているという事です。
一々誰に何をどうしてあげたかなんて本人は覚えていなくても、
してもらった相手からのいっぱいの感謝があなたの身を護っているという事です。
“情けは人の為ならず”とも言いますし、ペイ・フォワードという言葉もあります。
これは未来への出費・投資という事で、優しさのバトンを次に繋げて行けば
いざ本当に自分が困った時には、必ず誰かに助けてもらえる・
誰かが協力してくれるという事なんです。
私事ですが、最近車の右前輪を段差に嵌めてしまった時に、
居合わせた人達の情け・優しさ・協力で何とかしてもらえました。
最近日々の生活の中で、これほど心の底から震える程のありがとうを
言った事はありませんでした。どっかで心に喝!を入れられた様な気がしました。
それをお弟子さんに言うと、“先生それは廻りの法則ですよ。
これまで先生がお人に対してその様に生きて来られたから、
今度は先生にその番が廻って来たという事でしょ”と言われました。
そう言えば3年前に雨の晩、道に飛び出してきたおじいさんを轢いてしまいそうになって
“危なっ!”と止まると、“誰も止まってくれへんねん。助けてくれ”というのです。
見ると、縁石に乗り上げた車が、底が当たって動けなくなっていたんです。
何とか上げようとしましたが動かず、未加入だったJAFを携帯で呼んで、
来るまで30分ほど一緒に待ってあげました。
“地獄に仏とはこの事や。こんな雨の中兄ちゃんが止まってくれへんかったら
どないなっとんたんかわからへん。ほんまにありがとうな”と拝まれた事を思い出しました。
やっぱり世の中ってそうなんかなって思えた出来事でした。
生きている内に何回ありがとうを言って、何回ありがとうを言ってもらえるか。
どっちも大事ですが、実は言ってもらえる事が多い方が値打ちかもしれませんね。