2019年 7月
<100%の満足度?>
毎日の生活の中で、皆さんもよく〜%というのを目にすると思います。
これは色んな目的や場面に使われます。
統計・アンケート・割合・予測etc…。
例えば年齢別人口統計・政府支持率・果汁〜%アルコール〜%・降雨確率
なんかが浮かびますよね。
まあ“どんだけぇ〜!”という量を測る為の指針・目安という事です。
それこそ若い時はエネルギーに溢れていますから、ソレを怖いとも思わず、
自信と過信、バイタリティーと無謀を背中合わせに持って、
“どんだけ好きなん?どれだけ愛してるの?私と仕事とどっちが大事なん?”と迫り、
“そりゃお前や”と言われても、今度は“ほなそれって何%!?”てな具合で相手に突きつけ、
自分にももっともっとと完璧をと迄は行かなくても、より以上の理想を求める。
山田花子は黒木瞳にはならへんし、ユリやんが石原さとみにもならん。
況してや普通のおっさんが竹野内や福山になれへんのは明白なのにです。
樹木希林が“私の一番の得は、不器量に生まれた事”と言っていましたが、
でも若い時分からその様な達観が出来る筈もなく、
又、その飽くなき理想を求める動きがなければ、学問にも恋愛にも仕事にも消費にも
進歩と結果はなかったんでしょうがね。
そう考えると、皆んな大なり小なりソコを通って来てるんです。
嗚呼あれから四十年“お父ちゃん、アンタ私の事どんだけ好き?”なんて考えた事もない。
むしろ好きにならんとって!引っ付いて来んといて、一人にしてって言うとるやろ!
何?父の日?そんなもんアンタと一緒におったるだけで毎日が父の日じゃ!
なんて閑話休題。
齢と共にだんだん理想と満足の輪郭も曖昧になり、
気が付けば100%を求めなくなる。
そう思いませんか?
まあ逆に100%でやろうとしても無理やし、
又、こられても無理やしなんて事になりますよね?
“半分あったらよしとせえ” それよりちょっとでも上回っていれば御の字。
田辺聖子さんも口癖でした。
“程々まあまあボチボチでんな”と。
ほな今日はこれぐらいにしとったろか。
これもどっかで聞いた様な言葉ですけどね。