2022年3月
ついにロシアのプーチンがウクライナへの侵攻を始めてしまいました。
全世界に“No War”のシュプレヒコールが上がるのは、子供でも分かる話です。
考えてみれば、その教えの根底は、キリスト教も仏教もどの宗派に限らず同じ筈なのに、
その宗教の違いに端を発し、大昔から現在に至るまで未だに争いは絶えません。
今回はNATOの所為にして、西寄りの民主化になって行くウクライナを許せず、
侵略をしてでも自国に取り入れようとする。
何だか中国が香港と台湾にやっている事と同じ図式の気がします。
人は其々同じなどではなく、皆其々個性を持って一人一人違うし、況してや国が違えば
その方向性も違って当たり前だとなぜ受け止められないんでしょう。
今回お話しするのは“禅の教え”にある、“三痴三悩”の戒めです。
まず“貪り”誰にもやらへん、全部自分のもんや!損をするのは絶対嫌!と
物事全て損得で捉え、人と分かち合うことを一切しない。
次に“瞋り(いかり)”自分と考えの違うものや価値観の違うものを排除しようとする。
何でそうなんやと相手を罵り、相手が解ってくれなければキレる・激怒する。
相違を一切受け入れようとしない。
そして最後に“痴かさ(おろかさ)”事が上手く運ぶ内は良いが、一つ行き詰ったり
上手く行かなくなると、まずは自分の何処があかんかったんやろ?と
考える反省から始まるべきなのに途端に人の所為から始まる。
“世の中が・会社が・上司が・親が・あいつが”と並べ立て、
全て自分以外のモノに責任転嫁する。自己反省を一切しない。
この三つを自我の中に持ち続けると、俗に言う“煩悩”となり、
仏の心とは程遠いのは言うまでもありません。
是を“三痴三悩”といい、幾ら自分を可哀想と思い悩んでいても、
全ては其の端はこの三つの内のどれかから来ています。
間違いなく其れが悩みの源となるのです。
出来るだけこの三つを捨てた上で自他共の倖せを願うべきなんです。
勿論生きておれば色々な不満や不足は出て来るでしょう。ですがこんな言葉があります。
“愚痴は闇路の続きなり”痴という字はさっきおろかと読むと言いましたよね?
知恵が病気になるという事、すると愚痴はおろか々となり、
そのダブルのおろかさに囚われている限りは、何処まで行っても暗闇の中を
ぐるぐる回るだけで、陽の射す道になどいつまで経っても出られる筈もないのです。
ひょっとしたらプーチンもそんな状態ではないんでしょうか。
大事なのはそうであるならば次にどうすればいいか・良くなるかの
次の一手を考えられる力を持つ事です。
自分も含めて冷静に事態を観る事が出来れば誰でも必ず出来る事なんですよ。