2022年4月
もう言うに及ばずロシアウ・クライナ問題に始まる不穏な世界情勢は、一体何処まで
続くのでしょうか。散々コロナでのウィルス・細菌によるパンデミックがやっと光が
見えかけた時に、又この期に及んで性懲りも無く、生物兵器がどうのと言っています。
究極の我欲の行き着く先は、相手を殲滅する事でしかないのでしょうか?核もまた然り
この鴨長明の生きていた平安時代の昔から幾度となく戦は繰り返され、国の戦いは元より、
長明自身も下鴨神社の神職の家に生まれ、正宮司の位を求め、その権力争いに巻き込まれ、
敗北し、出家するに至ります。これら権力争い・勢力争いは戦国時代から第二次世界大戦に
至るまで日本でも繰り返されて来ました。
この方丈記の言わんとする処は幾ら平穏を願ってもずっとそのまま続くなんて事はなく、
変事ある事を知り、世の無常を知っているからこそ、出来るだけ財欲・名誉欲等の我欲を
離れ、必要以上の事は願わず、何があっても軽率に慌てふためいて走り回ったりせずに、
ただ静かである事を望みとし、憂いなきを楽しみとするべし。
人も世の中も皆同じなんですよ。という宮沢賢治の“雨にも負けず”に流れている
気持ちと同じ事だと思います。そして又、人の善悪にも強弱や深浅があり、自分の心を
測ってみれば、顕らかに善に背く訳ではなく、かと言って全く悪を離れる訳でもない。
草が風になびきやすい様なものであり、又波に映る月の姿が一定して静まる事が
無い様なものでもある。世の中に全くの正義という様なものが存在するのだろうか?
正義というのは、常に当事者から見てのものであり、反対から見ればそれは
ひっくり返るのだから。“NO WAR”は紛れもない真実ですが、
何を見て、何を聞いて、何を信じて、何をどうするか、
一人一人の賢い判断と選択が求められています。
この日本に暮らせている事の幸せと感謝を感じて改めて考えてみたいもんですね。