2023年2月
イソップ童話に“アリとキリギリス”というお話があります。
アリは来る冬に備えて、夏の間にせっせと休まず働いて、冬の蓄えを用意します。
ところが、キリギリスは容易に予測出来るであろう事を蔑ろにして、
楽しく可笑しく遊んで暮らしていました。
そして実際冬になると、やっぱり何の用意もしていなかったキリギリスは、
立ち所に食べ物に困り、アリを訪ねます。“食べ物を恵んで欲しい”と。
“そんなのは自業自得だ。寒くても踊っていればいいじゃないか”と
突き放す声もある中で、心あるアリが、
“私は夏に汗水垂らして働いているのをあなたに笑われた者です。
あなたは真面目に一生懸命働く事をバカにしていましたよね。
でもいざという時にはその日々の行いが結果をを連れて来るんですよ。
もしあなたがここで心を入れ替えて真面目に一生懸命頑張る者を、
軽んじてからかったりせずに、当然自分自身も同じ様にすると、
約束してくれるのならば、食べ物を分けましょう”と言って、
キリギリスにも自分達の備蓄していた食料を分け与えました。というお話です。
中島みゆきさんのファイトという歌の中にも、
“闘う君の歌を 闘わない奴らが笑うだろう”という歌詞がありますが、
世の中の風潮として、何か何処かで勘違いをして、
愚直に頑張る者をバカにする傾向が悲しいですがあるのは事実です。
日本人には“転ばぬ先の杖”という考え方が根付いていたりもしますから、
前もって確かめて用意をするのは何も悪い事ではありません。
何事もベースは慎重に一つずつ石を積み上げるかの如く、
真面目に日々を重ねて行くのは基本です。
ですが、中にはそれが高じてしまって、心配の余り何も出来なくなってしまう。
“こうなったらどうしよう。ああなったら困る”と。
気がついたらその積み上げる種類の石が変わってしまっているのです。
それに対して、キリギリスの様に何も考えずにお気楽に、
自分が遊んでいるだけならいいのですが、人が真面目に積んだ石を、
蹴っ飛ばしに来て、崩してしまう奴もいるのです。
でも何処かでアリも楽しみを犠牲にしている自分と引き比べて、
心の何処かでのびのびと嬉しい・楽しい毎日を過ごしているキリギリスを、
羨ましく思う気持ちもちょっとはあるのです。
“僕は出来ないけど”という戒めで蓋をしながらも。
こう考えてみると、どちらの言い分や考え方の中にも長所・短所は必ずあり、
最近では車でも良いトコ取りを合体させたハイブリットなんてのがありますが、
この話だって良いトコ取りのハイブリットの考え方をしてみると、
心配と不安で自縄自縛してしまうのではなく、“まあ何とかなるわ”と気を楽に
考え方はキリギリス。でもその実態はまさかの時の為に
普段から真面目に働くアリであれたら、怖いモノは何もありませんよね?
決して無責任ではなく、嬉しい・楽しい・大好きのお気楽さで
石を積んで行けばいいという事です。
“そんなん理想やん”て思うかもしれませんが、
頭と心にその理想の形をちょっと置いておけたら、
日々石を積むのがそれほどしんどくなくなるかもしれませんよ。