2023年10月
人が生きて行くという事は、必ず選択の連続です。
CMであった、機内食での“Beef or Chicken?”という様なメニュー選びetcの
日常のほんの些細な事から、学校・就職・結婚などの人生の重大事に至るまで、
これ全て“君はどうする?どっちにする?”という選択なんです。
その際に、“君がどうしたいかの意志が大事なんだよ”と言われます。
それはその通りで、決して他の人が決めるのではなく、
あくまで選ぶのは・決めるのは自分自身なんですから。
そこで、何の憂いも引っ掛かりもなく、ストレートに“私はコレ!”と瞬決出来るのなら、
何も問題はないのですが、大事なコトになればなるほど
“自分はこうしたいけど、〜を考えるとそんな訳には行かへんやんか”と
悩む事が多くなります。
この間も定年後の男性が、次の仕事についての相談で、今現に次の仕事をやっているんだけど、
ソレを続けていいのか・変えた方がいいのかと、訊ねるので“その仕事が嫌なのか?”
と問うと、“好きだ”と言う。“じゃあ続けたら?”と返すと、“でも給料が少ない”と。
そこで、“もしあなたが優先順位としてソレを望むのなら、
もっと稼げる仕事にトラバーユすべきでしょ?”と話を進めると、
“やっぱりそうなんですか?変わりたくなくても我慢してそうしないとダメなんですね”と、
まるでソレは自分の選択や決断ではない様に言うのです。
“本当は嫌だけど、したくないけど、背に腹は変えられへんから・仕方がないから”と。
千鳥ではありませんが、“チョッと待てい!”です。
家族に対してか、何に対してなのかは判りませんが、勝手な一人よがりの犠牲的精神ですか?
自分さえ辛抱すればの被害者意識ですか?仮令どうあろうと、
もしそう決めたならば、ソレは立派なあなたの意志であり、あなたの選択なんです。
誰かにさせられたのでも、強制されたのでもありません。
色々とトータルで考えて、“あなたのしたい様にした”という事なんですよ。
もしソレが嫌なら、何かを削ってでも・それこそ我慢してでも、
今の仕事を続けられる様に考えてやればいいのです。
どちらも、あなたの決める・あなた自身の意志決定なんですよ。
そう説いていくと、彼はパッと顔色が変わり、“先生、心がとても楽になりました。
初めて素直になれました。やっぱり私は今の仕事が好きです。続けます。
お金のことは又別に考えます。有難うございました”と、とっても晴れやかに帰られました。
“選択・判断・決断・実行”この4項目を考える時・悩む時、
下手な被害者意識を入れない事。もうこれは言わずもがなの基本です。
私がお手伝い出来るのは、“選択・判断”まで、
後の“決断・実行”はそれこそあなた自身に他ならないんですからね。