2024年8月
最近は、実際には何の繋がりも無いインターネット・SNS上での同調圧力が凄くて、
標的を見付けては叩いて追い詰めるのに、現実の地域コミュニティ・市町村での
規約事・共同で一緒に何かするという同調はどんどん薄れて行く風潮です。
まあこれだけ多様性が叫ばれる時代ですし、その流れは止められないのかもしれません。
まず親との同居が無くなり、墓終い・親戚付き合いを伴う法事終い・仏壇終い、
そうなると寺離れ・檀家離れになり、その挙げ句の実家終い。
その空き家問題も大変な状況です。
当然人の生命には限りがありますから、エンディングノートなんてのもあり、
“断捨離”も言われて久しいですから、後の事も含めて、出来るだけコンパクトに
ミニマムにと思うのは、これも又、当たり前なのかもしれません。
処が私の仕事上、相談が絶えないのは、自分を取り巻く“人間関係終い”の
不味さ下手さから生じる悩みです。
身内・身外に関わらず、若い時はエネルギーに溢れていますから、
人の縁の糸はいっぱい繋がって、ソレを苦とも思わず広がって行きます。
でも歳を重ねて行くと、その全ての縁にエネルギーを注ぐ事はしんどくなって来ます。
これも又仕方の無いことで、歳と共に人間関係の糸も少なくなって行くのは自然だし、
又ソレを悲しがることも無いのです。
あなたが今の容量で本当に大切にすべき縁の糸も限られて来るのです。
だからソレをちゃんと吟味して“人終い・縁終い”が必要になるんです。
もう色々と思い悩むような縁の糸は切っておきなさい。
だからと言って、何も自らゼロにしてしまう必要はありませんから、
会った時には普通に対応すればいいし、無視することはありません。
只、それに割くエネルギーをゼロにしておくということです。
本当に大事な縁の糸なんて数える程しかありません。
つれあいが居ればそうだし、後は子や孫ってとこでしょうか。
これまでの様々な縁の糸を切ったところで失礼にさえならなければ、
あなたの暮らしは何も変わることはありません。
勿論、あなた自身が繋がりたい人が居れば、当然喜んで繋がればいいんですよ。
只それだけのこと。すっきりと人間関係手帳が心置きなく整理出来れば、
いっそ清々しい、ニュートラル・ナチュラル・フラット・クリアになれますからね。