2024年7月
捻くれずに普通に考えると、愛はその対象が誰であっても、
ちゃんと繋がり分け合えれば、喜びと倖せを生んでくれる嬉しいものです。
処が、コレが中々一筋縄では行きません。
何が本当で何が正しいかなんて人それぞれで判かりませんが、
実は本当の正しい愛は、寂しいものなんだという側面もあるのです。
愛や愛情は等しく自分の想う誰かに干渉したい・関わりたい、
又はされたいという欲望・欲しいと望む事です。
ソレが上手く行く事もあるし、反対にその欲望が悪い方向に作用し、
そうなって欲しくない結果を呼んでしまう事もあります。
そうなると、その✕の切先が相手に向くと、ショックを受け、
途端にそれまでの愛が“被害者意識”にすり替わり、受け入れらなかった事を、
“裏切られた”と感じ、相手を加害者にしてしまう。
すると、愛とは背中合わせの“憎しみ・恨み”が生じてしまう。
逆に、その✕の切先が自分へ向くと、“悪かったのは自分だ”と責め、
自己肯定が出来なくなり、挙句(あげく)に自分への嫌悪感という
自己否定を生んでしまう。
これらがどっちも毒なのは間違いないし、また解りますよね?
そんなものを心と躰に入れたら、誰だって弱ってしまいます。
だから“愛は掛け流し”それこそ川の流れの様に、
愛を持てるものが上から下へ流して行けば良いのです。
私からあなたへ、親から子や孫へと。
相手からの見返りを自分の欲望で期待してはいけないのです。
“愛は寂しいもの”という所以(ゆえん)は其処にあるのです。
でも愛は、そもそもあなたがそうしたいと願ったこと、
昔の“ある愛の詩”という映画で“愛とは決して後悔しないこと”
と言っていましたが、その時あなたの中に在った愛に、
✕を付ける必要は何処にもありません。
仮令、結果がどうあろうと愛を持てた自分に○を付けてあげましょう。
そう出来れば、寂しいこともありませんからね。