2024年3月
今は果物でも野菜でも全部皮を剥いて、キレイにしないとダメだという風潮である。
根本の部分も捨ててしまう。
セリなんかは今でもキレイに洗って根も食べるが、
ほうれん草なども茎と根の境の部分が、一番味が濃く、美味しく又、滋養も深い。
芋類や根菜類、魚が好きな人はそれもそうで、皮と果実・皮と身・茎と根などという
境目が一番値打ちがあるのだそうだ。
本当は、焼き芋もじゃがバタも皮ごと食べるのが、
より美味しいのはみんな知っていると思う。
英語ではbetween・amangなんて言うが、日本語には様々なソレを表す言葉があり、
〜と〜の間を、あいだ・ま・はざま・あわさ・あいま・はざかい・あわい・さかいめ・境界etc。
その表現の仕方は、本当に沢山ある。
それぞれ違うAとBのイイとこ取りという面もあり、
又何かの終わり・endと、始まり・biginingでもある。
昔の人はその効能をよく知っていた。
だから皮を剥くにしても、極力薄くという包丁技も発達した。
それでも皮と身はその種類によって動物も含め、
毛羽だったものや捨てるべきものはきっちりとその用途を分けた。
これは飽く迄、食に於ける話であるが、同じ事が
日本人の考え方にも当てはまるのではないかと思った。
余りにも右・左と特別偏った立ち位置を嫌うというか、
好まない日本人は、ともすれば日和見だとか、主体性に欠けると言われがちだが,
さっきも言った様にAとBのイイとこ取りの中庸と考えれば、
実は一番失敗の少ない、合理的で賢い方法なのではないか。
当然、白黒のそれぞれの主張も大事であるが、その間のグレーというのもある。
今の言葉でアリ寄りのナシとか、ナシ寄りのアリなんていう
微妙なパーセンテージを表す言い方もおもしろい。
それこそ、黒と白の間の色んな明度・彩度のグレーがあるということだ。
本来、真ん中というのは、
ニュートラル・ナチュラル・フラット・クリアな立ち位置であり、
異なるモノとモノの間というのは、実は一番大事であり、
それこそAとBそれぞれの功と罪を見極める為の、
とても大切なポジションである事が分かる。
そして時には、納得が行かなければ、ソコ・中庸を離れる
オリジナリティを恐れない勇気が必要である
という事も忘れない様にしたいものだ。