2025年1月
新年あけましておめでとうございます。
まだ明けたばっかりで、今年がどんな年になるのかは判りませんが、
とにかく色んな事柄に対して、冷静で賢い選択が出来る様にありたいもんです。
去年もそうでしたが、時に対立する二つの意見というのは、分断を生んでしまう。
人は自分の信じたいモノや、見たいカタチしか入れようとしませんから。
当然コッチが正しくて、ソッチが間違っている、
ソッチが悪でコッチが善だと主張を曲げない。そして相手も又然り。
この様に徹底した白黒主義は、悲しいかな人の想いや行動を分断し、
決して相容れようとせずに憎しみすら覚えさせてしまう。
それをSNSが助長し、人の間の闇を深くする。
この人が何を好むかと傾向をAIが勝手に分析して、
自分にとって都合の良い情報だけを繋ぎ合わせて、
自身が信じたい物語を作り上げ重ねて行く。
そうなると、客観的な事実に基づく冷静な話し合いなどますます困難になる。
私がいつも言っている一番大事な事実は抜け落ちてしまい、
それぞれの真実だけしか見なくなる。
真実というのは、自分の見たいカタチですから。
そしてそれに沿う現実を求めようとする。
何だかどちらにしても“本当にそれでいいの?”て思いませんか?
事実はいつだって一つだけど、真実なんてそれぞれの立ち位置が違えば、
当然変わり、人の数だけあっても何の不思議もないんです。
何も意見を持つなというのではなく、“こう思う”という意見を持った上で、
“反対から見ればどう見えるんだろう?”というシュミレーションをしてみる事。
どれにも長所・短所、利点と欠点はあるのです。
私の好きな養老孟司さんの近著『人生の壁』の中に、
“とらわれない・かたよらない・こだわらない”この三つが答えと言うてはる。
私もこの50年ずっと伝え続けている
“拘らず、捕らわれず、固執せず”と全く一緒です。
“悪いのは・間違っているのは、全部アイツや”と自分が作り上げた
マイ オウン ストーリーに執着してしまわない様、気を付けなさい。
それこそ、マイ オウン ゴールになってしまってからでは遅いですからね。
どなたも人として賢い一年を送れます様、願っています。
今年もどうぞ、よろしくね。