2025年7月
もちろん、どの家の・どの親に産まれるかによって、最近は親ガチャなんていう言葉も
ありますが、自分では選べない経済格差、お金持ちかそうでないかというのはあり、
健康であるか又は生まれつきの病気や障害があるかというのも選べません。
今話題の映画“国宝”でも生まれついての血筋の話がありました。
いくら心の底から求めても、得られないものもあります。
只、お金にしても健康にしても、はじめから持たざる者を不幸だと断じてしまえば、
それ以上何も言う事は出来ませんが、極端な例を除いて、極々一般的な生活や人生を
歩んでいる者にとっては、幸と不幸の容量は皆同じで、一つの容れ物なんです。
その中の割合を一人一人が考え方や行動で選択し、決めるのです。
2:8、3:7、4:6、5:5、6:4、7:3、etc。
あなたはどの割合ですか?
半分あったら良しとせえ、それよりちょっとでも上回っておれば御の字。ありがた山。
ほどほど・まあまあ・ぼちぼちでんなが大事だと田辺聖子さんも言うてはる。
ビートルズの歌“THE END”に“君が受ける愛と、君が与える愛の量は同じ”
と言うのがある。
これは、“君が幸せになるには、人を幸せにすれば良い”と解釈すればいいらしい。
半世紀以上も前の歌が、今も心に沁みる。
同じことをしても、同じことがあっても、それを幸と取るか、不幸と取るかによって、
その割合は変わってくるのです。
出来ることなら、○の心が増える方が、誰にとっても嬉しいはず。
それがごく自然に出来ているのが、ウチのママさんで、今回、脳出血で、
大変な目にあったのに、何一つ被害者意識に捉われず、
だからヨカッタと感謝と笑いに変えて乗り越えて行っています。
リハビリ病院に転院してからも、同室のおばちゃんたちに、
“この子がおってくれてよかったわ。考えよったら落ち込んでまうような事であっても
前向きにおもしろうに喋ってくれて、入院がこんな楽しかったん初めてやわ。
可愛いらしい気性の人やで”と喜んでもらい、人気者やったみたいです。
面会に行った僕にも“かいらしい奥さんやで、ご主人、大事にしいよ”
と言われました。(ちゃんとしてますで)
本人も“修学旅行みたいやったわ。楽しかってな。ホンマはもっと居っても
よかったんやけどお父さんが心配やしな”ですって。
ほんで帰って来れました。ありがた山です。
幸と不幸は、同じ一つの容れ物の中に入っています。
その割合は一人一人が決めるのです。
正にその通りだと思いました。