2005年11月
最近では耳慣れない言葉かもしれませんが、“畏怖”という言葉があるのを知っていますか?
読んで字の如く、畏れ敬うという意味の言葉です。
阪神淡路大震災に始まり、21世紀になってからも、数多くの水害・台風災害など、
国内だけで見ても、数え切れないほどの天災が頻出しているにも関わらず、
国外に至っては、インドネシア・スマトラの大津波・アメリカ南部のハリケーン・カトリーナ、
そしてパキスタンの、死者何万人規模にも及ぶ未曾有の大地震など、
まるで自然の神の怒りを買ったかの様な大天災の数々、
ちょっと考えてみても、確かに怖いですよね。そして変ですよね。
勿論人として、ソレを防ぐための科学的対策は日々なされている訳ですが、
どうもソレだけでは追い着かない、己の欲だけで破壊し続けてきた人間への
大自然の痛烈かつ強烈なしっぺ返しのような気がしてなりません。
決して超自然現象としての神の存在を持ち出すのではありません。
外国は兎も角として、我々大和の民・日本人は、大昔から大自然の中のあらゆる事物・事象に対して、
其処に神の存在を見てきました。
山には、“御山の神さん”が、水には“龍神さん”が、井戸には“井戸の神さん”が、
台所には“火の神さん(荒神さん)”が、という様に、遠くにも近くにもあらゆるモノに
感謝の念を込めて、“神さん”を置きました。
其処には、全ての自然の恵みを受けながら“生かしてもらっている”という
謙虚な畏怖の念があったのです。
時代が変わり、そういうことは非科学的だと言う只その一面だけで、
どんどん“怖いモノ”“畏怖すべきモノ”が無くなりつつあります。
小さい時に“夜に口笛を吹くと、蛇が出てくる”とか“火遊びをすると、夜寝小便をする”とか、
“みみずに小便をかけると~が腫れる”とかありましたよね?
畏れるものの形を借りて、人としての在り方・躾を説いたものです。
あなたには“怖いモノ”はありますか?
それは、只、単に恐怖という感情ではなく、とても大事で大きなモノだから、
そうしなければいけないという我と我が身を戒めるモノとしての“怖いモノ”が、です。
その昔は、“地震・雷・火事・親父”といって怖いモノの代表に挙げたものです。
このように本来、親を始めとする目上の存在に対しては、
“畏怖の念”“畏れ敬う気持ち”があったものです。
ちょっと意見をされたり、少しでも気に入らないと、“ウザイ”と避けたり、壊したりせず、
もう一度感謝と敬いの気持ちを感じてみても、それこそ罰は当たりませんよ。
それぞれが胸に手を置いて良く考え直してみたいものです。