2006年 4月
日々の鑑定の中でソレが必要な人に私が、
“やさしく・柔らかく・にこやかに、日々是好日の如き気持ちでいることを心がけなさいよ”と言うと、
“そんな観音さんみたいなこと無理や”という声が返ってくることがあります。
果たして本当に無理なんでしょうか?
悩みがあるというのは、いわば心が時化ていることで、時化というのは、波が逆巻いて、
其処に真実の何物をも映さない、本当の事が何も見えない状態を表します。
海の時化は、嵐が原因ですが、この場合の時化の原因は、心の毒、
例えば、嫌悪・憎悪・怨恨・嫉妬などの負の感情から来る被害者意識です。
自分が自分で自分を可哀想と思う気持ち、ソレは全て一人称、ナルシズムの世界であり、
其処には己の物差し以外何も存在しない形です。
当然先程言ったように、そこに何も真実は映しません。
すると反対のかたちは、凪になります。
“その水面、鏡面が如く真実を映し出す”と言われるように、
“ありがとう”という感謝の心“よかった”という安堵の心、そして“おかげさまで”という報恩の心、
これらを心に持つことで、心の海は凪になるのです。
心がとても平穏で、穏やかに落ち着いた状態を表します。
生きていれば、そりゃ嫌なこと・辛いこと・出来れば受けたくないこともあり、
嫌な人・信じられない人・価値観の合わぬ人もいるでしょう。
ですが、それらに出会った時に負の感情に飲み込まれて、時化てしまわぬ様にする為には、
何も難しいことはありません。観音さん云々の話も要りません。
只、“自分も含めて少なくとも、自分に関係のある回りの人”
(聖人ではありませんから、世界中の人に等という、大それたものは要りません。)
みんなが、倖せの価値観は人により違いますから。
“それぞれのかたちで倖せになったらエエなぁ”と思えば、いいだけなんですよ。
“あいつは憎たらしいから不幸になったらいい”などと呪わぬこと。
罰を当てるのはあなたの役割ではありませんよ。
あいつもあいつのかたちで倖せに成ればいいだけの話。
たったそれだけの事で、結局は廻り回って“観音業”“菩薩業”と同じになるんですよ。
私もお遍路を廻っておりますが、いつもそう心に念じて、各寺各寺お札を納めています。
只、心にそう思うだけのことならば、老若男女問わずず誰でも出来ることですから、
今日からでも、始めてみましょう。