2008年 6月
人はどのような時に倖せだと感じるでしょうか?
おそらく自分の欲望が実現した時でしょう。
“こう成りたい”という願いが順調に叶った時、それが“ああ倖せだ”と想うものです。
この形を順縁と言い、逆にそうならない事を逆縁と言います。
そして仮令望まずとも逆縁が来た時、苦しみ、悩み、自分は不幸だと感じる。
大抵の人はその原因は外にある、決して自分が悪いのではなく、世の中が・会社が・親が・あの人がetc。
誰も自分の事を悪く思いたくないですから、其処に原因を見る。
是を“外道”と呼びます。
私の処に訴えて来る皆さんの中にも少なからず此の“外道”に嵌っている人もいます。
正しい在り方は“外道”ではなく“内道”に在り、仮令諸条件がどう在ろうと、
それを受け入れてどう結果を出すかは全て己に関わっている“自分次第”なんだ、という事に気が付く。
そして“内道”というと、自分の所為だけだと思えというのでもない、
その状況の中にいる自分を歪み無く、顕かに省みる事なんです。
是を又“覚道”と言い、人として一番大切な“目覚めの道”とします。
皆、仏の教えなんですよ。
今を生きてる皆さんにも不思議な程全て当て嵌まる事ですよね。
今月は、“外道”・“内道”・“覚道”此の三つの道の違いのお勉強です。
迷った時に是を思い出せば納得の行く解決策は必ず見つかると思います。
自分だけを特別視して棚上げするのではなく、皆同じまな板の上に並べての判断ですよ。
“だって、でも・・・。”は無しです。