2009年 3月
今に始まった事ではありませんが、こんな不景気な世の中になると、
損得勘定だけで己の欲を満たそうとし、時には人のお金まで取ろうとする。
そんな事件が頻発しています。
銀行・郵便局・パチンコ屋、そんなお金の沢山ある所は言うに及ばず、
タクシー・コンビニ等の小さな日銭の売り上げまで強盗し、時には命まで奪ってしまう。
普通の者からすれば、“いったい何を考えているんやろう?”と理解の範疇外の事です。
振り込め詐欺もそのひとつですが、自分が真面目に働いてお金を得ようとする意思は無く、
楽して金儲け、行き着く先は自分のモノも他人のモノも関係なし。
極端に言えば何だか悪い事したもん勝ちの様にすら思えてしまいます。
では、真面目にコツコツ頑張った処でちっとも陽の目を見ないと嘆いて、
そっちサイドに行ってしまっていいのでしょうか?
本人が“そっちの方がエエ”と判断するのならば何も言えませんが、
果たして本当にそっちの方が得だと思えるものでしょうか?
又、そんな人間に成ろうとして成れるものでしょうか?違うと思います。
実は、人の世の真実と言うのは、それこそ江戸時代の昔から何も変わっていません。
人殺しも強盗も悪い政治家(悪代官)も居ましたし、日々の慎ましやかな暮らしを送る
心の温かい町家・長屋の庶民も居ました。
その図式は今も同じです。
つい目先の欲得や華やかさや凄い事であるかどうかで、物事や行為の価値判断をしようとしますが、
今も昔も決してそうではありません。
是は有名なマザーテレサの言葉でもあるのですが、
“どれだけ多くの事をしたかではなく
どれだけ立派な事をしたかでもなく
どれだけ心を込めてしたかが大事である”
と言うのがあります。
貴方は日々の暮らしの中で、このように“心を込めて”出来ていますか?
大層な事は要りません、小さな・可愛らしい気持ちで十分なんです。
人がする行動の先には、それが仮令どんな小さな行為であれ、それを受け取る相手が居ます。
その相手が自分自身である場合もあります。
自他問わず“心を込めて”というのはとても綺麗な大事な日本人の美だと思います。
決して損ではありません。