2009年 5月
私事ですが、最近入院を経験しまして、一週間程病院にお世話になりました。
毎日ベッドの上で朝晩点滴を受けましたが、まあそれにしても看護師さんの細やかでありながら、
多岐に渡る事を次々とこなして行く働き振りには、頭が下がる思いでした。
患者側が其の想いを伝える為には“ありがとう”という言葉しかなく、
私も何かして貰う度に“ありがとう”と言いました。
業務ですから仮令当たり前の事とは言え、其処はお互い人間ですから、
感謝の言葉に付随する心のキャッチボールをしておく事はとても大事な事です。
“いえ、いえ”と言いながら看護師さんもうれしい笑顔を返してくれます。
自分が弱っている時ですから余計に有難く感じるのでしょうが、
何だか最近は個人の権利の主張ばかりが先に立ち、“いえ、いえ、お互い様ですよ”という連帯感
(この底辺には自分だって何時何処で誰にお世話になるか解らないからという想いがあり、
人は一人では生きてはいないんですよという教えでもあります)が薄れ、
人と一緒に何かをするのを嫌がる傾向があります。
不特定多数とは言わなくても“袖刷りあうも他生の縁”と言うように、
少なくとも自分に関係のあったものに対しては、
“徳”の施しをしておく事は必ず自分に返って来る事なのです。
車同士でも避けてくれた相手に対して短くクラクションを鳴らしたり、
相手の顔を見て、手を挙げたりして“ありがとう”の気持ちを伝えるのは、
ドライバーであるならば暗黙の了解の筈でした。
お互い気持ち良く通行する為に、ちょっとした習慣ではありますが、ずっと守られて来た事です。
ところが是も又最近は其の合図が無い場合が多いです。
いくら譲ってあげても知らん顔して通り過ぎて行きます。
小さい時から“人にお世話になったらどんな小さな事でもありがとうを言いよ”
と教えられてきた筈なのに、何だか悲しいですよね。
日本語で一番綺麗な言葉は“ありがとう”だと言われます。
水の分子に色々な言葉を聞かせて、其れこそ一番見事に綺麗な結晶を作るワードが、
“ありがとう”だそうです。
其処で最後にあいうえお作文です。
“愛を込めて・理屈ではなく・我を張らずに・とても・嬉しい”其の気持ちを伝える言葉だと思います。
皆さんも“ありがとう”ケチにならないようにしましょうね。