2009年 7月
それぞれの人生を生きていて、どんなに頑張っても、どれほど願っても、自分の望む形には成らない。
むしろ、それ処かこれでもかという程の重荷や負担が、自分の上に懸かって来る。
どうして自分だけがこんな目に会うの?!と嘆きたくなる。
中には“よっぽど私は前世で悪い事をしたんやろか?”と考えてしまう人も居ます。
それは“業”だとか“因縁”とか又は“因果”とも言います。
確かにそういう事もあるのかもしれませんが、自分の身の上に起きる事柄は、
仮令其れがどんな事であっても、貴方に起きているのであって、よく分析してみれば、
直截ではなく、間接的であっても貴方自身が其の要因を担っているのです。
そうなると、その相手が親・伴侶・子供・その他どれであったとしても、
私は知らんと投げ出す訳には行きません。
其処で一番気を付けなければいけない事は、決して恨んではいけないという事です。
恨む心はどっぷりと“被害者意識”を呼んでしまいます。
そうなると立ち向かって解決していかねばならぬのは他の誰でもない自分であるにも係わらず、
只、相手を責めて嘆くだけで何処かで自分から乖離してしまいます。
誰であってもそんな状況は来て欲しくはありませんが、
もしそうなった時に如何に勁い(つよい)心で対処出来るか、貴方自身の此処に懸かってきます。
この“勁い”という字は、いくら引っ張っても切れない糸や紐という意味です。
誰であっても心の糸が切れてしまっては頑張れません。
そこで腹を括る必要が出てきます。
続ける事に腹を括るのか、もう固執せずに放す事に腹を括るのか、二つに一つです。
勿論どちらを選んだ処でかかる火の粉は覚悟しなさい。
どんな状況にあっても、前を見る心の糸をしっかりと張れて居れば必ず何とかなります。
是は神頼みでも何でもなく、自分自身の人としての矜持でしょう。
只、私だけが辛抱・我慢をすればではなく、聴いてくれる人が居るのならば、
出来るだけ毒は吐いておきなさい。
もし居なければ、一人に成れる処で罵りの暴言でも構いませんから、思いっきり晴らしておきなさい。
其れは決して悪い事ではありませんからね。