2009年11月
毎年今年の一字が発表されますが、私が思う処の今年の一字は“転”です。
是は、廻るという意味でもあるし、変化するという意味でもあります。
その見地で言えば、政権交代がその代表的な事でしょう。
新しく形が変わる事で違う風が吹き、滞った空気が一掃されるという利点も在れば、
理想だけを掲げていてもやってみなければわからない
着地点の不確かさ・脆さという懸念も同時に在ります。
その正しき着地点への模索はまだまだ時間が掛かるとは思いますが、
試行錯誤の猶予をヒステリックになることなく、見守りたいものです。
閑話休題、そこで私がこの“転”の字に感じる意味は“責任転嫁”の“転”、
いかに他人の所為にして、自分は悪くないと自己正当化の上、言い逃れをする者が多いかという事です。
政治家は言うに及ばず、自分の失敗や出来ていない事は棚に上げて、相手の所為にして糾弾する。
今年賑わしたモンスター○○というのもそうですね。
その上、其処には権利と義務の履き違えもある。
何だか卑しいまでの損や得やとかの価値だけで物事の値打ちを決めようとする。
是も繰り返し言っている事ではありますが、
本来日本人には人としての品格や“恥を知る文化”が在った筈です。
皆無に成ったとは言いませんが、今逆に其れを言うと通じなくなっている世の中が怖いですよね。
何も無理して綺麗に居るために大きな見栄を張る必要は在りません。
少なくとも是を目にした人は自分を振り返ってみて、
其れが在ったかどうか、確認し直してみましょう。
仮令ちょっとでも“ああ私、恥を知る気持ちも、人としての品格も無くしてなかったわ”と思えたら、
自分を褒めてあげなさい。
其れが又次へと繋がって行きますからね。
まず今年もこうして無事に過ごせた事を有難いなと感謝しましょう。
倖せを数える事が出来る力は其処から始まります。
足らず不足ばかりを数えるという癖は不幸に繋がります。この癖は要りませんよ。
“でもでも”も無しですよ。“有難う”を数えなさい。